第89章 夜桜と
「まだ少し冷えるな」
「!」
そう言うなり、彼は被っていた帽子を徐ろに取ると、何故か私の方へと被せて。
それを、手を繋いでいない方の手で整えると同時に彼へと視線を向けると、やはり見慣れないパーカーのフードを少し深めに被っていて。
「・・・珍しいね?」
「ん?」
思わず、そう口にしてしまった。
まるで誰かに見つからないように、顔を隠しているように感じたから。
「あんまり、そういう服着てるとこ見ないから」
「あぁ・・・。風見が選んでるんだが・・・おかしいか?」
桜の季節と言えど、夜になればまだ空気は冷たい。
白い息を吐きながら、彼は空を見上げながらそう答えて。
「おかしくはないけど・・・風見さんが選んでるの?」
少し・・・というより、かなり意外だったから。
「今は、毎日が潜入捜査のようなものだからな」
・・・そっか。
ポアロも仕事とはいえ、ただの仕事ではないんだ。
私にとっては日常でも、その瞬間の彼は公安や組織の人間としての仕事中で。
その瞬間、どこか深く大きな溝を感じたようだった。
「・・・これからは、ひなたが選んでくれても構わないが?」
「え?」
私が、零の服を?
「そ、そんな・・・私センスなんて無いし・・・っ」
「そんなものは必要無い。僕らしいと思うものを選んでくれれば良い」
・・・彼らしい、か。
正直な話、シンプルな白シャツにパンツスタイルが一番彼らしいと思っているのだけど。
「私で・・・いいの?」
「ああ、費用はこちらが出すから心配しないでくれ」
その辺りは別に気にはしていなかったけど。
なんなら、それくらいは私から出したいくらいで。
普段から彼は、私にお金を一切使わせようとはしなかった。
たまに食材費として使っても、助手としての給料だと言って、私の口座に多めに振り込まれていた。
その理由は分からなかったけど。
いや、分かってはいたけど、分かろうとしていなかったのかもしれない。
・・・彼が居なくなった時、私が少しでも困らないようにという、彼の心遣いを。