第88章 感覚で※
「・・・ッ!」
きっと驚いたのは私だけではないはずだ。
いや、彼は驚いただけでは済んでいないだろう。
・・・沖矢さんの顔が目の前にあるせいで、透さんの表情は確認ができないけれど。
唇が触れないギリギリまで近付けられたそれに驚いて、声なんて出なかった。
その中で、顔を掴む手の親指だけが肌を滑るように動かされると、私の唇を動かないように軽く押さえ付けて。
「俺が居ない場で、あの事は話すな。勿論、ボウヤの前でもな」
声は沖矢昴のまま、でも雰囲気は赤井秀一で。
「ひゃ・・・っ!」
私にだけ聞こえるようにそう囁くと、突然彼は私の体ごと半歩引いては頭を屈めた。
その瞬間、空気を切る音がしたかと思うと、何かの残像が頭の上を過った。
「赤井秀一・・・ッ!」
それは、完全に冷静さを失った透さんが殴り掛かった拳によるものなんだと気付けば、自分はどこか冷静さを取り戻した気がした。
「人違いですよ」
「とぼけるな!」
何故こういう時に、火に油を注ぐようなことを言うのか。
「待って、透さん・・・!」
沖矢さんも私を離してくれれば良いのに。
何故か腕の中に私を抱えたまま、何度も繰り出してくる彼の拳を華麗に躱(かわ)し続けた。
「・・・っ・・・!!」
構え直した透さんの拳が、ストレートに沖矢さんの顔へと向かって来た瞬間、思わず目を瞑ってしまって。
パシッ、という肌のぶつかり合う音が頭上でしたことを感じれば、それは沖矢さんの手で受け止められたのだと察した。
「こんな所で喧嘩をすれば、警察を呼ばれますよ」
それは、透さんが公安警察の降谷零だと知っている彼にとっての、最高の皮肉だった。
冷静に、でもどこか挑発的に沖矢さんが話す中、すぐ側では受け止めた拳と受け止められた拳が、反発し合う力で小刻みに揺れていた。
「・・・それは都合が良い。そのまま貴方の身分を事細かに警察で話してもらいましょうか・・・!」
目の前にいる透さんの表情は笑っているように見えたが、それはただ口角が上がっているだけとも言えた。
それらを彼らの間で感じている時、一瞬生まれた隙を見逃しはしなかった。