第82章 消える※
・・・そうだ、彼は・・・降谷零だ。
「直接迎えに行けず、すまなかった」
思い出せたのに。
・・・いや、思い出させたのか。
彼の名前は、降谷零だと。
なのに。
「・・・零・・・」
それだけしか・・・思い出せない。
「どうした、どこか痛むか?」
彼の質問には小さく首を振って答えて。
静かに座り直す、彼の姿を目で追った。
幸い、眼球だけは自由に動かせる。
それを動かし、室内を見回して気付いたのは、ここが恐らく病院だということ。
そして私はその部屋のベッドに寝かされていること。
「今回の事は、ひなたが落ち着いたらきちんと話す。とりあえず今は、中和薬の入手が先だ」
中和・・・。
そういえば、そんな薬があることをあの男は口にしていた。
薄らとしか覚えてはいないけど。
「あの・・・」
恐る恐る、彼との関係を確かめるように声を掛けた時だった。
彼の表情に違和感を覚えた。
・・・これが意味するのはきっと。
「どうした?」
「・・・ううん、何でもない」
さっきの言葉が間違っていたんだ。
彼とはそういう間柄なんだとは察していたけれど。
どうやら私は彼に相当気を許していたらしい。
敬語で、喋っていなかったなんて。
・・・いや、そうだった気もする。
覚えているようで覚えていないのがむず痒くて仕方が無い。
「・・・!」
彼の手が、突然頭に置かれて。
そのまま優しく撫でられた。
その手は大きく、優しく、体温は冷たいのに温かくて。
「・・・・・・っ」
途端に、また辛くなった。
絶対に忘れてはいけない人を、忘れてしまっている。
そんな事があって良いのか。
こんな罪を、犯して良いのか。
「そろそろ行かせてもらう。外に風見がいるから、何かあれば伝えてくれ」
そう言いながら彼の手が離れて。
その瞬間、今までに無い不安を感じた。
「待って・・・っ」
思わず部屋を去ろうとする彼を呼び止めて。
体が動いたのは無意識だった。
でも力の入らない体は、呆気なくベッドから転がるように倒れた。