第82章 消える※
『悪いが少しだけ我慢してくれ。僕は病院で待機しているから』
・・・知っている。
この声の主が誰なのか。
知っているのに。
分かっているのに。
・・・何故か、思い出せない。
返事をしたい。
・・・なのに。
『ひなた・・・?』
「・・・・・・ッ」
何と返事をすれば良いのか分からない。
ただイヤホン越しの声が、耳を擽るばかりで。
それが・・・苦しくて。
「!?」
思わずイヤホンを取り外し、風見さんの胸へと押し付けて返した。
乱暴にするつもりは無かったのに、余裕の無さからそうしてしまって。
荒く、整わない息のまま体を小刻みに震わせて。
一瞬驚いてなのか動きが止まっていた風見さんも、押し付けられたイヤホンを手に取ると慌てて耳へと装着し直した。
「あ、いえ・・・。・・・はい、分かりました」
震えが止まらない。
恐怖の対象だった男は目の前から消えたはずなのに。
怖くてたまらない。
「・・・っ、や・・・!」
無意識に、風見さんへとしがみついていた。
それをすくい上げるように、風見さんに素早く抱き抱えられると、慌てて部屋を後にされた。
外に出て、少し離れた場所に止められた車へ向かうまでの間、風見さんは少しもスピードを落とすことなく走り続けて。
助手席に丁寧に置かれると、軽く背もたれを倒してはシートベルトを締められた。
その間、風見さんが触れる度に体は跳ねて。
風見さんも触れないように気を付けている様子だったが、それでも全く触れないわけにもいかなくて。
それが酷く申し訳なかった。
「病院まで、すぐですから」
そう言うと、風見さんはサイレンを鳴らしながら車を発車させた。
体は汗で、足は自分から溢れた液でベタつき、呼吸は整う気配を見せず、ただ小刻みに体が震える。
熱は籠る一方で、何か分からない恐怖に襲われて。
でも今、一番怖かったのは。
イヤホン越しに聞こえた声の主が誰だったのか、思い出せないことだった。