第3章 消えて泡沫
「その、……なんでお前が家にいたのか覚えてないんだ」
目の前が真っ白になるってこういうことなんだ、なんて酷く冷静に思った。
先生は、なにも、覚えてない。覚えていないんだ。それならきっと、無かったことにした方がお互いのためだ。身体からスッと血の気が引いて末端から冷えていくのがわかる。乾いて上手く動かない口から、やっとの思いで言葉を吐き出した。
「先生の家で、飲み直そうって、」
それだけです、気付いたら寝てて、すみません。そう言うのが精一杯だった。これ以上喋ったら、きっと私は泣き出してしまう。
せめて体だけでも。そう思ったのは本当だったし、それで良かったけれど。それを先生が覚えていないなんて。叶わなくても、先生に私の存在を刻みたかった、それすらも。
「そうか、よかった。悪いな」
そう言って歩き出す先生を呆然と見やることしか出来なくて。
よかった、って何が?間違いがなかったと、思っているから?元教え子と何かがあったわけじゃなくてよかったってこと?好きでもない女を抱いていなくてよかったってこと?
「……全然、優しくなんかないや」
生徒達にそう諭したつい先程のことが、馬鹿みたいに思えてきて。
……惨めだなぁ、
そう呟いた声は広い校舎に吸い込まれて消えた。