第16章 愛しい体温
「そんなことないよ。あたし幸せだったよ。時間は少なかったけど、すごく幸せだったよ」
そう言ってるのに、あたしの言葉は届いていないみたいに顔を上げてくれなくて、床にはポタポタと水滴が垂れていった。
「戻れば確かに痛みは感じるわ」
「…痛いのは…嫌い。あの事を思い出すから……」
あたしにとって強い痛みは恐怖でありあの事を思い出す引き金だった。
痛みのない世界はあたしにとって居心地のいい場所だった。
「だけど、愛する人達の温かさも感じるわ。あなたの大好きな彼の体温をちゃんと感じることができるの。あたしは今大我に触れても何も感じられない。何より大切な自分の息子なのに、あの子の暖かさを感じることはできないの。みさきちゃんはまだ戻れるわ。戻らなきゃダメよ」
あたしは…
戻らなきゃ
たとえ痛くても
あたしは、あの暖かい腕の中に戻りたい
そう思った時、自分が手術前どんな気持ちでいたのか思い出すことができた。
あたしは強くなって必ず戻るんだって思ってたことをはっきりと思い出せた
「…あたし、みんなのとこに戻りたい」
そう言葉にした瞬間またあのガラスの部屋に戻された。
どうして…?
一度でも戻りたくないって思ったらもう戻れないの?
「さっき言ったこと忘れないでね。それから、目が覚めた時覚えてたら大我とあたしの世界で一番大好きな旦那さんに伝えてほしいの」
「なにを?」
「ずっとずっと愛してるって。ずっと愛してくれてありがとうって…」
それだけ言うと大我のママは煙のように消えてしまった。
そして聞こえたドアをノックする音。
「扉を開けて、その靴を履いて出ておいで」
ドアの方を見ると真っ白で誰かいるんだろうけど見えない。
そしてさっきまではなかった、真っ白な世界には少し華美にも見えるあたしの大切なヒール。
死んだら履かせてって大我に言ったけど、自分で履くって決めて日本に置いてきたヒール
“みさき…行くな”
大好きな人の声が聞こえた気がした
「行かない。これは日本に戻ってから自分で履くって決めてるから」
「こっちは痛みも苦しみもない世界なのにいいのか?」
「あたしは、みんなのところに戻る。何があってもあたしは負けないって決めたの」