第16章 愛しい体温
「ちょっとあたしと出かけない?」
「でも、出ちゃダメなんでしょ?」
「あたしと一緒なら大丈夫よ。ほら、目を閉じて」
温度のない、でも優しい手に頬を包まれて、言われたとおりに目を閉じると、そこはさっきの手術室だった
誰が見ても青白い顔をしてるあたしと、相変わらず忙しく動き回るドクター達。
“戻ってこい”ってあたしの胸を汗だくになりながら必死で押してる真太郎
戻らなきゃ…
そう思った瞬間
目に入ったのは、ずっとずっとあたしを苦しめてきた、あの出来事を象徴する、あの傷を切開されているあたしの脚だった。
戻ってまたあの出来事に苦しめられるなら
_______戻りたくない…
あの部屋にいたとき、記憶は確かにあるのに、脚は何も痛みを感じないし傷もなかった
あったかくて真っ白なあの世界は、怖いことなんて何一つないような気さえした。
戻ることが怖いと感じるほどあの部屋は居心地がよかった
「あたし、戻ったらどうなるの?」
「じゃあ次はこっち」
あたしの質問には答えずに部屋をすり抜けると、夕日の差し込む廊下に出た。
あたしの名前を何度も呼ぶママの声は悲鳴に近い
崩れそうなママを抱きしめるパパの目は真っ赤で口元を歪めてる
祈るようにしてるおばあちゃんは何度も何度も“自分が代わりになる”って言ってくれてる
手が白くなるほど握り締めてる大我の肩は震えてて“母さん、頼む”って絞り出すような声で呟いてる
大きなコスメバックを持つパットが、大きな目からたくさんの涙を流して“戻ってきてちょうだい”ってミラノで一緒に撮った写真を握り締めてる
そして夕日が沈み始めて、初めて見えたあたしの大好きな人の姿
あったかくて優しくてかっこよくて
出会った時からずっとあたしを大切にして、あたしの過去もすべて受け入れてくれた。
あの広くてあったかくて硬い胸に、長い腕で包まれてる時間は、どんな時間よりも幸せだった。
愛してるって言ってくれた優しい声と優しいキスは、あたしに恋愛が怖いことじゃないんだって教えてくれた。
お前がいなきゃ…生きてる意味ねぇよ…
まだお前になんにもしてやれてねぇだろ…
だけどあたしに聞こえた声は
いつもの強い声とは違う、小さくて震える声だった