第5章 [て] 天に梔子-くちなし-....R18
【今日は早めに切り上げてくるから、いつもの場所で待ってて】
茉莉のスマートフォンに黒尾からのメッセージが届いたのは、昼休みのことだった。
黒尾と茉莉はクラスメイトで、二人は前後並びの席に身を置いている。茉莉が窓際の最後尾、黒尾はその前の席。受験に集中できるよう卒業まで席替えをしないという担任の方針で、春からずっと代わり映えのないテリトリー。
変化のあるほうが気分転換になりそうな気もするが、現状抗議するほど居心地の悪い席ではないというクラスメイト達の声もあってかそのままが保たれている。穏やかな高校生活に、あえての特別な変動はいらないということだろうか。
『いーんちょー、悪い、ノート見せて』
『いーんちょー、青いペン貸してくれ』
『なあ、いんちょアメとか持ってねぇ?』
黒尾は時折その広い背中を捻り、こうして茉莉にあれこれをねだったりする。のだが、今朝に至っては『サンマの塩焼き食ってきただろ』などと突飛もなく我が家の食卓事情を言い当てられ仰天した。
そんなバカな。今朝は食前と食後で歯磨きもしてきたし、ケアには十分に気を付けていたはずなのに。
慌てた茉莉が制服の袖口に鼻をつけると、目の前で『ぶひゃひゃ』と可笑しな声を出し笑う。
サンマの塩焼きが好物だという黒尾は、それのみに限り嗅覚が過敏に働くらしい。
『……ネコみたい』そう小さくむくれると、『それは誉め言葉だ』と無駄に色気を含みながら笑んでくるので、ニヤける黒尾を残し小憎らしい気持ちで手洗い場へと向かったのだった。
春から始まったこのようなやりとりが今日で何度目になるのかはわからないが、初夏を迎える頃には、二人は特別な関係になっていた。
ただし、黒尾と茉莉が恋人同士であることはクラスメイト達には知られていない。茉莉が秘密にしたいと頼み出たからだ。
当たり障りない会話はあるものの、恋人同士としてのそれが教室の中で交わされることはない。
今日は一緒に帰ろうだとか、休みの日にはどこへデートに行くだとか、別カップルの声がふわふわと教室の宙を舞う中、まるでイチョウがパラパラと落葉してゆくような密やかさが二人の上空のみを漂い、その美しく乾いた音を誰かが気にかけることはなかった。