第1章 私の中、私は生きる
「そうですか。何か知りたい事などありましたら、遠慮無く私に訊いて下さいね」
男性は、口元に皺を作り小さく微笑んだ。
「はい、ありがとうございます」
一先ず、私は安心して肩の力を抜いた。ユリさんの言う、元の名前を話してはならない。それにはどのような意味が込められていたのだろうか。とても気にはなるが、これを話して良い内容なのか分からず、訊くに訊けなくて、顔を俯かせた。
「聞いて下さいっ。この方...、いえ、ミカンさんでしたね。ミカンさんが、私に素敵な名前を付けて下さったんです。ユリって言います。言葉の意味は良く分からないんですけど、この響きが好きですっ」
ユリさんはきらきらと目を輝かせて、木の盆を抱えて見下ろす男性に語り掛ける。それを男性は、受け身になって頷いている。ユリさんは、本当その名前を気に入ってくれたのだろう。付けた私としても、嬉しい限りである。
「ふっ、貴女に良くお似合いですよ。では、注文はお決まり次第お呼び下さい」
そう言って、メニュー表をテーブルの上に静かに置いた。男性は軽く頭を下げると、最後に私の方を見て微笑んだ気がした。そんな事を気にしている内に、男性はキッチンカーに軽い足取りで戻って行った。でもその時に、気の所為だったのだろうか、男性の手から白銀の残光が顔を覗かせたように見えた。いや、きっと料理の仕込み中で、偶然手に持っていただけかも知れない。
「貴女が来てくれて良かったです。ここは、一人だと退屈な場所ですから、話し相手が一人増えて嬉しいです」
ユリさんは、突然私の手を取って繋ぎ、にかっと白い歯を見せる。その手はとても温かくて、私の不安感を取り解いてくれた。
「えぇ、私もユリさんとなら、これからを何とかやっていけそうです」
ユリさんは突然、視線をキッチンカーの方に逸らす。何かと思い見ると、男性が右手の親指を立てていた。それがどういう意味かは分からなかったが、男性の微笑んでいる姿を見ると、良い意味なのだろう。私はユリさんに視線を戻すと、その頬には一筋の糸が伝っているように見えた。