第1章 憧憬の背中
幼い頃から、潤は父昌宏の背中を見るのが好きだった。
昌宏の背中には、それは立派な観音菩薩が描かれていて、昌宏が身体を動かす度、まるで生命でも宿ったかのように動く観音菩薩を見るのが、何よりの楽しみでもあった。
特に、夏場の暑い時期、井戸から汲んだ冷たい水を大きな盥に張り、二人で浸かる時には、水に濡れても消えることのない背中の絵を、幼い潤は大層不思議がり、小さな指で観音菩薩を撫でては、きらきらと目を輝かせていた。
「おいらの手についた墨は水に濡れると消えちまうのに、父ちゃんの背中の観音菩薩様は、どうして消えないの?」
時には子供ながらの疑問を投げかけることあった。
その度に昌宏は、潤を膝の上に抱き、
「こいつぁな、紋々と言ってな、そんじょそこらの墨なんかじゃねぇ、特別な墨を、皮膚に染み込ませて描くんだ。だからこいつぁ、どれだけ水に濡れたって消えやしねぇよ」
自慢げに言って、手桶に汲んだ水を、何度も自らの背に浴びせかけた。
「どうだ、凄いだろ?」
「うん、凄いや、父ちゃん!」
父昌宏の背中は、潤にとって憬れだった。
そしていつしか潤の心にも、いつか自分も父のようになりたい、父のように、自分の背中にも立派な紋々を描きたい、そんな思いが芽生えるようになっていた。