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「夕されば」「めずらしき」

第1章 会いたくて


雨が降ってきた。
私は慌てて庭に降り、洗濯物を取り込んだ。
客用の布団一式と、しばらく袖を通される事の無い、近藤さんの寝間着。それらをゆっくりゆっくりたたんでいたら、チャイムが鳴った。
誰かな?勧誘だったら居留守を使おう。
そしてドアスコープから見えた顔に、私は本当にびっくりした。
「こ、近藤さん!?」
開けたドアから、雨の匂いと共に駆け込んできたその人は、いたずらが見つかった子供のような顔で笑った。
「いやぁ、何か出発時間が遅れるって言うからさ、戻って来ちゃった。どうしても、もう少し一緒に居たかったからさ」
「もう…皆さん困るんじゃないですか…。あ、それよりタオル」
取り込んだばかりのタオルで濡れた体を拭いていたら、目の前に美しいもみじを差し出された。
「これ、来る途中で取って来たんだ。この葉っぱだけ、もう色付いていたんだ」
「…もう、秋ですね」
「うん。今度戻って来る時は、もう冬かな」
「…じゃあ、お鍋でも作りますね」
「お、良いなぁ。水炊きか、あ、卵ふわふわも良いなぁ」
「仰せのままに」
強くなる雨音を聞きながら、私はそっと、大きな体に身を寄せた。

恋人達が抱き合う部屋とドア1枚隔てた外では、山崎がひとり立ち尽くし、
「…声、かけていいかなぁ」
と、つぶやいていた事を、今はまだ誰も気づいていない。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ吾が来る 妹が目を欲り(ほり)」
『夕方になるとひぐらしが鳴く生駒山を越えて私は来たよ。愛しい貴女に会いたくて/秦間満/万葉集』
※新羅(今の中国)へ船出する際、風待ちのわずかな時間に生駒山を越え、妻に会いに行った時の歌。だそうです。

「めずらしき 人に見せむと もみぢ葉を 手折りぞ 吾が来し 雨の降らくに」
『逢うこと稀な方(立派な讃美すべき人)にお見せしようと雨が降る中を色付いた葉を手折って来ました/橘奈良麻呂/万葉集』

※近藤さんの言っている「卵ふわふわ」はリアル近藤(勇)さんが好物だった鍋料理です。
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