第5章 実弟の追憶
姉ちゃん助けて、そう思ったとき姉の焦った声が聞こえた。俺の名を呼んでくれた。
俺に襲いかかる熊の向こうに見えた姉の顔は見たことのないほど酷い顔だったと思う。いつも姉は穏やかで、笑っていた。俺に笑いかけてくれた。
そんな姉が、今の俺より恐怖と絶望に染まった表情、言葉にすると難しいが…そんな顔。俺は姉のこの顔が忘れられなかった。
言葉で愛を語ってくれた姉、優しい笑顔で俺に愛を伝えてくれた姉。俺は確かにこの瞬間、姉からの愛を感じた。俺が死ぬのが、姉にとっては怖い事らしい。俺が死ぬ事は姉にとって絶望的な事らしい。姉は俺を、愛してくれているらしい。
*
「無様な姿ね」
久しく聞いていなかった忌々しい女の声。高価そうな、磨かれ、光沢のある綺麗な靴。オーダーメイドであろう、足の長さにぴったりの深い青色のスラックス。
顔を上げる気にはなれなかった。海を出てからはほとんど見なかった女。非常に残念な事だがこの女は俺の実姉に当たる。
「なに、しに来た…」
「鼻で笑いにかしら」
女については海に出てからよく聞いていた。海軍中将『青剣の』、とんでもなく強い女で掲げる正義は誠実そのもの。市民からは慕われ、同じ海兵からは尊敬される。くそったれ。
そして憎たらしいこの女は俺を煽るのが悔しいが上手い。
「消えろ…」
こんな女、姉ではない。俺の家族は白ひげ海賊団の親父と、船員と、ルフィと、
ガン!と檻を強く蹴る音。思わず肩が揺れた。決して女を見まいと、落とし続けた視線を女に向けると片足を檻にかけたまま俯く女の姿。伸びた髪で表情はよく見えなかった。
「言ったでしょ…?海に出てもすぐ死ぬ。あれは戒めにならなかったの?」
「ッ、うるせぇ!!」
"あれは"ってなんだ。戒めって、サボのことを言っているのだとすぐにわかった。わかってる。あの時の俺らじゃ確かにすぐに死んでいた。海に出た今ならわかる。だから出港は17歳って、決めたんだ。