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「例えば君」

第1章 ここではないどこかへ


翌日、寝不足のひどい顔をしていた私は辰馬さんに会う気がせず、部屋にこもって荷造りをしていた。
トランクに積める物すべて、何一つ大切な物は無かった。下着も服もアクセサリーも、主人が私に買い与えた物。その時は嬉しかったはずなのに。
ふと、キーホルダーが滑り落ちた。
これは、少し前に辰馬さんがお土産にくれた物だ。どこかの星にしか咲かないという、光るような青い花を樹脂で固めた物。大切な物は、これだけだ。
私はキーホルダーを握りしめた。
「おーい、坂本さんがお帰りだ。見送りくらいしなさい」
主人の声に、少し迷ったが、深呼吸をひとつしてから玄関へ向かう。
既に主人も使用人もおらず、玄関には辰馬さんが1人で立っていた。
「すみません。失礼を」
「いやー気にせんでよか。お手伝いさん達に並ばれるのは苦手じゃき」
辰馬さんはいつもみたいに大声で笑う。
「それよりさん、ここ出て行くのか?」
「あ…聞いたんですね。えぇ、来週には奥様が帰られるので」
「ほうか。そしたらどこ行くんじゃ」
「…どこか、遠い所に行っちゃおうかなって思ってます。内緒で。もぅ、良いかなって」
思わず漏れた本音に、辰馬さんは黙り込んだ。
「…ワシと一緒に行くか」
「えっ?」
「そんな悲しい顔したおなご、1人で放っておくわけにはいかんぜよ」
そして、辰馬さんはいつかみたいに小声になった。
「惚れたおなごなら、尚更じゃき」
「…辰馬さん…」
「荷物、取って来い」
そう言われて、私は握りしめていたキーホルダーを見た。
大切な物は、あなたがくれる物だけだ。

解説

「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに
私をさらって行ってはくれぬか」
河野裕子さんの短歌です。
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