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「例えば君」

第1章 ここではないどこかへ


この男は大きい。
初めて見た時から、ずっと思っている。
体も声も、度量というかオーラも、何もかもが大きい。
私は社交的な笑みを顔に貼り付けたまま、男ー坂本さんの手元を見つめた。
大なり小なりの箱に入った品々は、私には価値が分からないが、どれもそれなりの金額がするらしい。
私の隣に座る主人は、坂本さんとは対象的にボソボソと値段交渉をしている。
私は気づかれないように、坂本さんの手を見た。大きな手。
「わしづかみ」という言葉が似合う、無骨な手だ。
この手はどんな風に、女を撫でるのだろう。
荒々しくか、それとも案外、優しくゆっくりなのか…。
ふと、坂本さんが顔を上げ、私を見た。
淫らな妄想を見すかされたようで、目を伏せた。一瞬、私に笑いかけた気がした。

商談が終わった途端に自室に引きこもってしまう主人の代わりに、玄関まで見送りに立つ。
「じゃー奥さん、わしゃこれで」
決して小さくは無い屋敷中に響くような声をあげる坂本さんに、思わず苦笑する。
「奥さんなんて呼ばないで下さい」
主人と坂本さんが話しているのが、お茶のおかわりを運んだ時に聞こえていた。
私が正式な妻ではなく、元部下であり愛人である事を、この男は既に知っている。
「じゃが、ほいたら何て呼んだらええ?」
あくまでも快活に笑う坂本さんを、少し困らせたくなり、私は自分の下の名前を告げた。
「と読んでください」
坂本さんは一瞬キョトンとしたが、すぐに笑い声をあげた。
「さんかぁ、なんじゃ、下の名前で呼ぶとドキドキするのぉ」
そこまで言うと急に腰をかがめ、私の顔に口を近づけて小声でつぶやいた。
「悪い事しとるみたいじゃ」
びっくりして坂本さんを見ると、サングラスの向こうの眼は真剣だった。
「ワシの事は、辰馬でいいじゃき」
坂本…辰馬さんの肩越しに、夏の熱い風が吹き込んだ。
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