第3章 姫巫女とサカキの杖
まだ、朝陽も登らない明け方。
秋の澄んだ山の空気を、チャプン…と水の音が震わせる。
大きな滝が注ぐ水場に、一人の少女が足をつけた。
白い装束を身に纏った少女は、ゆっくりと水に身を沈める。
長く黒い髪が透き通った水に優雅な模様を描いた。
ほぅ…と息を吐いた少女が白い瞼を開くと、零れそうなほどに大きな黒水晶の瞳が覗く。
白い装束が水に濡れ、少女の白い肌が透けていた。
そこへ、金色の軌跡を描きながら、何かが少女に寄る。
『シオンよ――父が呼んでおるぞ』
「月映(げつえい)さま。……はい、ありがとうございます」
月映と呼ばれたその軌跡が輪郭を持ち、黄金の蛇のような生き物が姿を現した。
四肢を持ち、額に短いツノを生やしている。
その姿は、蛟龍(こうりゅう)と呼ばれる東洋の龍の姿に似ていた。
チャプン…と水面が揺れる。
水面には、不安な表情をする少女が映っていた。
* * *
ここは、日本でも有数の聖地である山に建つ『龍宮神社』。
その神社の同じ敷地に建てられた大きな古い木造の邸を、巫女姿の少女――龍宮 紫苑が歩いていた。
きっちりと三つ編みにされた髪が、少女が歩くのに合わせて揺れる。
毎朝の日課である沐浴を終えたシオンは、父の部屋を訪れた。
部屋の前で呼吸を整え、障子の外から声を掛ける。
「父上、シオンです」
「入れ」
短い応答に、シオンは障子を開けて部屋へ入り、父の正面に正座した。
ゆっくりと手をついて頭を下げれば、「顔を上げよ」と告げられる。
言われた通りに顔を上げれば、厳しい表情をした父と目が合った。
シオンにとって父は、尊敬の対象であると同時に、畏怖の対象でもある。