第8章 【家康・後編】※R18
「殿…京に帰れとはいかがなお達しでございましょうか!睦はずっと殿のお側にいとうございます!」
心底めんどくさそうな顔で、家康は頭を掻いている。
「榊原から聞いたでしょ?戦だから、邪魔なの」
「邪魔とは心外な!!武家の正室たるもの、殿のお留守に立派にこの駿府を守っていく所存でございます!」
「いつお前は俺の正室になった」
「いずれしてくださると、殿の御父上様が!」
「そんな約束知らないし」
家康は頭を抱え込んでしまった。物心つくまえに母と離縁し、若くして亡くなった父のことは、顔すらうろ覚えなほどだった。
「とにかく帰れ、戦に女はいらぬ」
そう家康が言うと、睦姫は泣き顔をキッと上げて、竜昌を睨みつけた。
「おなごが邪魔だと申されるなら、このお方とて邪魔なのではありませんか!!」
「ッ…」
反論できず、言葉につまる家康。なんとか助け船を出したい竜昌だったが、
「睦姫様、心中お察しいたします。ですが…」
「うるさいわね!あんたみたいな男でもない女でもない中途半端に何がわかるのよ!」
噛みつかんばかりに吠えたてる睦姫に、竜昌は言葉を失った。
『中途半端…確かに…』
竜昌の中で、武将として家康の役に立ちたいという気持ちと、女として愛されたいという気持ち。もはや切り分けることは不可能だった。そんな自分が、ひどく強欲で醜い者のように感じた。
「…差し出がましいことを申しました。お許しください」
竜昌は、睦姫にむかって平伏した。
「では…家康様、私はこれにて失礼いたします。本多様のことは、少し考えさせてください。…どうかご武運を…」
「え、待っ‥‥」
家康と睦姫を残し、竜昌は逃げるように城主の間を後にした。後ろから睦姫の金切り声が聞こえたような気がしたが、聞こえぬふりをして、駿河城の廊下をひたすら走った。
ああ、安土の廊下をこんなに走ったらすぐさま秀吉様にお小言を言われるのだろうなあ。そういえば、この着物は政宗様に頂いたものだったなあ。信長様は、駿府で私が側室に望まれたことを聞いたら、さぞ大笑いなさるだろうなあ。
竜昌は突然、安土が懐かしく感じられて、胸の奥がきゅうと締め付けられるのを感じた。