第6章 【家康・中編】※R15
『…りん…りん…起きろ…』
優しく響く低い声。
『今日は一緒に猪狩りにいくと約束しただろ…?』
いとしげに頬を撫でる、ごつごつとした男の指の感覚。優しく微笑みながら竜昌の寝顔を覗き込む顔は、逆光でよく見えない。
『…まったく…りんはお寝坊姫様だな…』
「…父様っ!」
竜昌ががばっと身を起こすと、そこは見慣れない部屋だった。
雨戸の隙間から薄く漏れくる光は、まだ夜明け前のそれだった。
じわじわと記憶が戻ってくる。そうだ、ここは秋津へむかう道中の温泉宿で、昨日は…
夕餉の際に、家来衆からしたたかに酒を飲まされたことは覚えているが、どうやってこの床まで来たかは記憶にない。
ただ、数年ぶりに夢に出て来た、今は亡き父親が、頬を撫でる感覚だけが、いまだ現実のように頬に残っていた。
夜あけとともに、一行は出立の支度を整えて、宿の前に集合した。
竜昌も、昨夜の艶かしい浴衣姿が嘘だったかのように、いつもの男物の旅装束になってしまい、家来衆は少しだけがっかりした。
家来の一人が、竜昌を気遣って声をかける。
「おはようございます竜昌様。お加減はいかがですか」
「あ、おはようございます。面目ございません、昨夜は飲みすぎていつのまにか寝てしまって… 」
「家康様が、お部屋まで連れていって下さったんですよ」
「え…」
竜昌は、すでに馬に乗っている家康のほうを振り返った。ちらりと見えた横顔は、いつも通りの仏頂面だ。怒っているようにも、いないようにも見える。
「準備はいい?出立するよ」
家康が声をかけ、一行は秋津にむけて歩き始めた。
竜昌も馬に乗り、家康に追いついて馬を並べた。
「家康様、昨夜は申し訳ございませんでした」
家康はちらりと竜昌を見た。
「…馬鹿正直に、みんなから返杯うけてたら酔っ払うに決まってるでしょ」
「はい…面目ございません…」
「うちのやつらも調子に乗り過ぎた。すまなかった」
突然、家康の口から出た謝罪の言葉に、てっきり怒られるかと思い込んでいた竜昌は驚いた。
近くを歩いていた家来衆が、首をすくめた。
『仏頂面に見えるけど…怒っていらっしゃるわけではないんだな…』
わかりづらい家康の感情を少しでも読もうと、その顔を凝視していると、家康と目が合った。