第5章 【家康・前編】
「俺か?こんなもん唾つけときゃ治るさ」
政宗も同じく腕をまくり、肘のあたりにできた傷をぺろりと舐めるふりをして、おどけてみせた。
「そういや今日、信長様への献上品の鯛が手に入ったから、ここ(城)で夕餉作っていくんだ。お前も食べるだろ?」
「はい、ぜひ」
政宗の料理の腕は、数日間その屋敷に滞在したときから知っていた。今回のように珍しい食材が手に入ったときや、宴の時など、政宗は安土城でもよく腕をふるっていた。
「じゃあ家康にも声かけてきてくれないか?家康がくれば今日は全員集まれそうだ」
「かしこまりました」
政宗とその場で別れ、竜昌はもときた道を家康の部屋のほうへと引き返したが、その足取りは重い。
さきほどお暇(いとま)したばかりなのに、何度も訪ねてうるさがられないだろうか。しかし障子の外から声をかけるだけなら良いだろうと、心を決めた。
そして家康の部屋の前にたどり着き、障子の前にひざまずこうとした瞬間、その障子がスッと開いた。
「!」
そこにはまさに部屋を出ようとする家康の姿があった。
息もかからんばかりの至近距離で対面した二人は、硬直してしばし見つめ合った。
「あ、あの、あの、政宗様が、夕餉を」
慌ててしどろもどろになりながら、その場にかしこまる竜昌。耳まで真っ赤に染まっている。
対する家康は、いつものように無表情で、竜昌を見下ろしながら言った。
「わかった。後でいく」
「はっ」
頭を下げた竜昌の眼前に、家康の手がさし出された。
その手には、小さな膏薬の瓶が握られていた。
「さっき渡し忘れた。傷薬。あんたに」
相変わらずそっけない口調だが、気を使ってつかってくれたのだと思うと嬉しさがこみあげてきた。
「恐れ入ります」
竜昌が瓶を受け取ると、家康は手を袖の中に隠すようにして腕を組み、それ以上何も言わず立ち去った。
竜昌は、顔の火照りが収まるまで、しばらくその場で手に持った瓶を弄んでいた。
─── ◇ ─── ◇ ───
その晩、安土城の天主には各武将たちと舞も集い、政宗が腕を振るった鯛料理に舌鼓を打った。
刺身、鯛めし、塩焼き、天麩羅、脂ののった旬の鯛は、まさに絶品だった。山育ちであまり海の幸を知らない竜昌にも、なぜこの甘い身の魚がなぜ高値で取引されるのか、合点がいった。
「おっいっしいいい~」