第19章 【光秀編】#2 月夜の兔は何見て跳ねる
それを聞いた瞬間、私は指先がスッと冷たくなるのを感じた。光秀様が身にまとっていたのは、舞様のお手製の羽織…
私はその羽織から目を逸らすように平伏して、震える声をなんとか絞り出した、
「も、申し訳ございません!舞様の羽織を汚し…」
今度は、自分の大失態に顔が熱くなった。
「問題ない。種子島を撃てば汚れるぞとは言ってある」
「ですが…」
「それより、そろそろ戻らなくていいのか?アイツが顔を真っ赤にして大手門で仁王立ちしているぞ?」
頭上から、ふふっと息をもらすように笑う声が聞こえた。
『はぐらかされた…』
アイツとは秀吉様のことだろう。確かに今日は遅くなる予定ではなかったので、秀吉様には御心配をおかけしているに違いない。
しかし何よりも、恥ずかしさといたたまれなさで、私は完全に浮足立っていた。
「は…い…も、申し訳ございません。失礼、いたします…」
ばくばくと暴れる胸を押さえ、私は光秀様の前からまるで逃げるように引き下がった。
「まあ、藤生様…」
「御免っ!」
「あら…」
引き留める女中さんの声を後に、私は門を抜け、一目散に城へと走った。
はあはあと荒い息を吐きながら、城へと続く坂を駆け上がる。
走っても走っても、あの月の光をまとったような美しい羽織や、その羽織を見つめる光秀様の優しげな眼差しが脳裏から消えなかった。このあと、光秀様はそれをお召しになったまま、寝所にもいかれるのだろうかと無粋なことを考えると、心の臓がみしりと音をたてそうなほどに軋んだ。
ああ、私はなんて馬鹿なんだろう。光秀様に種子島を教えてもらえることに浮かれて、自分だけが特別だと勘違いして、お礼すらも忘れるなんて。
全部全部、私の愚かな勘違いだったんだ。光秀様にとっての特別は、私じゃなくて舞様なんだ。そんなこと、とっくに分かっていたはずだったのに。なんでこんなに胸が痛むんだろう。