第19章 【光秀編】#2 月夜の兔は何見て跳ねる
ふと、光秀様が顔を上げて、私の方を見たかと思うと、その指先で、トントンとご自分の頬をつついた。
「?」
それに釣られるようにして、私も頬を触ってみる。
「煤がついてる」
「えっ!?」
慌てて、手甲でゴシゴシと頬を拭う。火薬の煤で汚れた顔で光秀様の前に出たなんて、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「ハハ、余計に広がったぞ。どれ…」
光秀様は羽織の袖口をつまむと、私の汚れた頬を拭おうと近寄ってきた。
間近でみる光秀様の美しい銀髪が、月の光を織り込んだ絹糸のように輝く様に、私は息を呑んだ。
羽織の布地ごしに、光秀様の固い指が、私の頬をつつ、と滑った。
「…ッ、汚れてしまい、ます」
「じっとしていろ」
私は動くこともできず、ただ息を止めて光秀様の目をじっと見つめていた。
その時、とたとたと廊下を歩く音が近づいてきた。
光秀様の指が、その熱が、スッと離れていった。
「お茶をお持ちしました~」
さっきの女中さんだった。女中さんは手慣れた動作で私と光秀様の前に茶碗を置くと、ちらりと光秀様の着物に目をやった。
「あら殿様、とうとう観念してお召しになられたんですね、その御羽織」
それを聞いて改めて見ると、その羽織は秀様にしては珍しく、まるで月見草のやわらかな花びらのような、光沢のある淡い黄色をしていた。まるで今日の月夜のためにあつらえたかのような美しさだった。
「ああ、これか…」
私の視線に気付いた光秀様は腕を持ち上げて、袖を月光に透かすようにして、羽織を眺めた。滑らかな衣擦れの音だけでも、それがとても上等な布でできたものだということがわかる。
「やはりよくお似合いですわ。さすが織田のお殿様の御召し物も手ずから縫っていらっしゃるだけのことはありますわね」
ドクン…胸の中心で、心の臓が荒い音をたてた。
「舞様とおっしゃいましたわね、あの姫君」
「ああ…礼など要らぬというのに。あいつは衣を縫うと、着ろ着ろとうるさいからな」
「…!」