第19章 【光秀編】#2 月夜の兔は何見て跳ねる
私は今日ほど手甲を着けてきて良かったと思ったことはなかった。舞様とは比べものにならない この真っ黒に日焼けした腕を、隠すことができるから。
「こっちへ来い」
光秀様は舞様に手招きをすると、その腰を抱え上げて馬に乗せた。そして御自身も舞様の後ろにひらりと飛び乗る。
また、朝餉の時のように、胸の中がひどくざらついた。
「わ~馬の背中って高いね!」
「喋っていると舌を噛むぞ」
「はーい」
馬に慣れていない舞様を思いやってか、光秀様はいつものように馬を飛ばすことはしなかった。
光秀様と馬を並べて、風のように安土の城下を駆け抜けて修練場に向かうのも、私の密かな楽しみのひとつだった。しかし今日はそれもできない。
もし私が馬に乗れなければ、舞様のように、一緒の馬に乗せてもらえたのかな…いや、浅ましい考えはやめよう。
私が馬の首を軽く掻いてやると、馬は横目でちらりと私を見た。まるで「今日は駆けなくていいんですか?」と聞いているようだった。
「三条、今日はゆっくり行こうね」
いつも光秀様が連れてきて下さるこの葦毛の馬は、名を三条という。(名前の由来を聞けば、ただ三頭目の馬だからだと聞いて、思わず笑ってしまった。)とても素直な良い馬で、しかも足腰も強く、初めての私を臆することなく乗せてくれた。きっと私のために、光秀様が良い馬を選んでくれたんだ…と信じている。
私は、光秀様の胸に身体を預ける舞様が見えないように、二人の少し後ろを追いながら、気晴らしに三条の足取りにあわせて、秋津でよく聞いた馬子唄を小さく歌った。
♪峠三里を葦毛で越えりゃあ
月も隠れる涙雨
いとしあの子に会えりゃせぬ
♪峠三里を黒毛(あお)子で越えりゃあ
八重に散れよと山桜
飾れあの子の嫁道中
「…悲しい歌なんだね」
突然、光秀様の肩ごしに舞様に話しかけられ、私の胸はドキリとした。
「馬子唄はこういうのが多いんです。これは、身の程知らずにも庄屋のお嬢さんに懸想してしまった、馬子の唄だと言われています」
「ふ~ん懸想かあ…」