第17章 【信玄編・後編】※R18※
「俺を含め、武田の皆が、這いつくばって泥水をすすり、味方の屍を超え、血の涙を流してきた。憎き信長をこの手で屠(ほふ)り、故郷を取り戻す願いだけを頼りに、ここまで生きてきた者ばかりだ…」
「…」
「その俺が病に倒れ、のらりくらりと戦をかわし、挙句に────和睦などと言い出したおかげで…」
「!」
「多くの連中が俺に愛想を尽かし、アイツの元へと走った」
「で、でも、だからと言って…」
「戦のどさくさで俺が死ねば、敵討ちを名目に武田の残党がさらに奮い立つ、アイツはそう考えたんだろうな」
アイツというのは、いつか信玄が話してくれた、憎しみに駆られ、復讐の鬼になったという幼馴染のことだろうと竜昌にも予想がついた。
かつて友と呼んだ幼馴染から、命を狙われる心境やいかばかりか。
ハハッと軽く息を吐くように、信玄は笑った。今までに見たこともないような、刹那的な笑みだった。
「俺はただ…みんなで甲府へ戻って、昔みたいに仲良く暮らしたかっただけなんだ…。信長を倒すことが目的なんじゃない」
────それに気づかせてくれたのは君だ、りん
囲炉裏の火を背にした信玄の表情は、ひどく草臥れているように見えた。
甘い笑顔の下に潜む、故郷を想う熱い情熱。
軽薄な言葉の裏に隠された、孤独。
たった一人で武田家再興の重圧を担ってきた双肩に打ち込まれた、味方の矢。
信玄は、疲れてしまったのかもしれない。
いつの間にか、竜昌は剣を持つ腕を下ろしていた。
さっきとは違う理由で、胸のあたりがキリキリと締め付けられるように痛んだ。
何かを言いたかったが、どんな慰めの言葉も、今まで信玄が抱えてきた哀しみを癒すことは不可能に思われた。
「信…玄、さま…」
からからに乾いた喉で、竜昌はなんとか声を絞り出した。
「私は…、私は…戎様に祈りました。貴方がいつか、無事に故郷へ…甲府へと帰れますようにと」
「…!」
「霊験あらたかなのでしょう?きっと叶います。貴方を待っている人が必ずいます…」
ガシャン、と けたたましい金属音と共に、竜昌の剣が土間に落とされた。