第17章 【信玄編・後編】※R18※
春雷の驚くべき瞬発力により、弓兵の射程を脱した二人は、図らずも同時に声を上げた。
「退却───!!北東の砦まで下がれ!!」
「全員退け──ッ!!林に身を隠せ!」
それぞれが、自らの部隊の安全を図って出した号令だった。
竜昌は、自分の声が届いたことを祈りながら、手綱を強く握ることしかできなかった。
背中にぴたりと押し当てられた甲冑越しの身体。腰を抱きしめるように巻きつけられた腕。
それらを極力意識しないように、とにかく今は、正体不明の伏兵の注意を引き、自軍を逃がす隙をつくることが先決だと、竜昌は自分に言い聞かせた。
『私が敵なら…』
竜昌が馬を走らせているのは、山をめぐる細い一本道だ。もし自分が敵を確実に仕留めようとおもったら。唯一の逃げ道であるここに伏兵を仕込むだろう。
『ほら、おいでなすった』
予想どおり、視界の先に複数の兵が道を塞ぐのが見えた。それぞれ弓や刀などの獲物を構えているが、
しかし思ったより人数は多くない。
「…春雷、行くよ」
竜昌は愛馬の耳元で囁いた。
春雷は二人を乗せたまま、速度を落とさずに伏兵に突っ込んでいった。
「うらああああああぁぁぁ!!!」
まさか馬ごと突っ込んでくるとは思わなかった伏兵たちは、怖気づいて道をあける者、腰を抜かすものが多数だった。
ダンッという衝撃音と共に、春雷は跳ねた。
伏兵たちの頭上を華麗に飛び越えると、春雷はそのまま走り去った。
焦った伏兵たちが、その後ろ姿に弓を射かける。
「…くっ」
竜昌の耳元で、信玄が短い息を吐いた。
しかしここで速度を弛めるわけにはいかない。
竜昌は左手で手綱を握りながら、右手で腰の脇差を抜いた。
「…!?」
腰に回された信玄の手に、かすかな動揺が走るのがわかった。
しかし竜昌はその脇差で、春雷の装甲を結びつけていた紐を斬った。
銃撃戦用の重い装甲が、どしゃりと地面に落ちる。
さらに竜昌はその脇差を仕舞うと、自らの兜や肩当すらも脱ぎ始め、馬上からそれを放り投げた。