第17章 【信玄編・後編】※R18※
『嘘だろ…』
顔はしかと見えない。しかしあの背格好、花菱の旗印、ありえない話ではない。もっと近くで見て、確かめたい。
知らずのうちに信玄も本隊を飛び出していた。
二人が真正面から打ち合う。
ギンッと重い金属同士のかちあう音。
鍔迫り合いで睨み合う二人。
『藤生、竜昌…』
信玄の赤銅色の瞳に映ったのは、見覚えのある、長い睫毛に縁どられた黒緑色の瞳。
あの頃、涙に濡れていたその瞳は、今は憎しみの光に満ちている。
『ま、それも仕方ないか…』
信玄の唇から、嘲笑とともにふと溜息が漏れた。
『武田信玄…』
ギリ、と竜昌の歯が鳴った。
どうしてここに?
どうして今更 私の前に?
どうして? どうして?
どうして───── 笑っているの!?
運命の悪戯か、神罰か。かつてあれほど恋い慕った男と、刀を交える日がくるとは。
しかし、鍔迫り合いの向こうから、まるで竜昌の姿を慈しむように見つめる信玄に、竜昌はかえって逆上した。
『そんな目で見るな!!憐みか?愚かな女をあざ笑いに来たか?』
竜昌の口から、悲鳴ともつかない叫び声が漏れた。
「ウヮアアアアアアァァァッ!」
それと共に、竜昌は渾身の力を振り絞って、信玄の刀を押し返し、横薙ぎに振り払った。
胴を捉えたその一撃を、信玄は左手で逆手に引き抜いた脇差の背で受け止めた。
「!?」
今度は信玄の大太刀が、竜昌に向かって振り下ろされた。
竜昌は横にした刀でそれを受け止める。両手にビリビリと痺れるような衝撃が走った。生半可な刀では折れてしまって、この身体もろとも斬られていたであろう。それほど重い斬撃であった。
『クッ!』
からくもその剣圧を受け流し、馬を離すと、竜昌はもう一度刀を構えなおし、荒い息を整えた。
その時、
ピーイィィィ… ヒッ…
鳶の鳴き声が不自然に途絶えた。しかも途絶える寸前のその声は『退却』を意味する音だった。
竜昌は、思わず兵吾がいるはずの丘の上に目をやった。
しかし竜昌の眼に映ったのは兵吾の姿ではなく、、丘の上から自分に向かって降ってくる、矢の雨だった。
「兵吾!?」