第16章 【信玄編・中編】
「そこで頭を冷やせ。二日後に信長様が戻られる。沙汰を待て」
光秀は竜昌の身体を放り投げるようにして、安土城・二の丸にある倉に押し込めた。
「見張っていろ」
「はっ」
重い扉が閉まり、ガチャリと鍵のかかる音がすると、竜昌は崩れ落ちるようにその場にひざまずいた。
手のひらほどしかない小さな明かり採りの窓から、月光が差し込んでいる。
雑多な荷物が詰め込まれた倉は、狭く、ほこりっぽく、耳がつんとするほど静まりかえっていた。
さっきまですぐそこにあった、まばゆいほどのかがり火も、握った手の温かさも、そっと額に触れたやわらかい唇も、何もかもが夢の中の出来事のように感じられた。
『し、ん…』
竜昌は、信玄の名を呼ぼうとしたが、からからに乾いた喉からは、かすれたような音が少し出ただけだった。
─── ◇ ─── ◇ ───
ガチャッ、ギィ…
どれくらいの時間がたっただろうか、倉の扉が開けられる鈍い音がした。外から目もくらむばかりの光が入り込んできて、粗末な筵(むしろ)の上に身を横たえていた竜昌は、手で目を覆った。
扉口には、逆光に浮かび上がる大きな影があった。
『信殿…?』
信玄に背格好の似た影を見て、竜昌は反射的に、信玄が来てくれたのかと夢想したが、いやそんなはずはない、と目をこすった。
「…竜昌、大丈夫か?」
兄のように優しく気遣う声。
果たしてその正体は、秀吉だった。
「あっ…」
竜昌はあわてて筵を降りると、土間に土下座をして頭をこすりつけた。
「ひで、よしさ、ま、こたびは…」
「あーそんなのはいい、それよりお前、三日間呑まず食わずなんだろ?」
「…」
竜昌の閉じ込められていた倉には、一応、朝夕に水と食料が届けられていた。
しかし竜昌はそれに一切手をつけず、倉の奥で見つけた古びた筵にくるまって、一日じゅう明かり取りの窓から、小さく切り取られた空をを眺めていた。
「せめて水だけでも飲んでくれ…信長様がお呼びだ」
そう言いながら、秀吉は水の入った竹筒を竜昌に差し出した。