第16章 【信玄編・中編】
柔らかく、少しだけ乾いた信玄の唇が────
竜昌の額に、そっと触れるように押し当てられた。
くすぐったいような、切ないような、不思議な感覚が、触れた部分から身体の中心へと、とろとろと溶け流れるように伝わり、やがて全身へと広がっていった。
信玄の胸に包まれるように抱かれた竜昌の身体は、まるで一足先に春を迎えたように、温かくなった。
どれくらいそうしていただろうか。信玄の唇がそっと離れ、抱きしめる腕の力が緩んだ。
薄れゆくお互いの体温の切なさに、竜昌が思わず縋り付こうと手を伸ばしかけたその時、信玄の口から やけに冷静な声が漏れた。
「やれやれ、人の逢瀬を邪魔する無粋な方々は、どちら様かな?」
「!?」
刹那、どうっと風が吹き、足元の枯葉を散らすようなカサカサという音が二人の周りを包んだ。
気が付くと二人は、数人の男たちに囲まれていた。その服装はまるで浮かれた祭りの客のようだが、その隙の無い目つきや、手に持った獲物などから、明らかにどこかの忍びだと思われた。
竜昌はほとんど反射的に、信玄を背中にかばうように身構えた。そして懐に手を差し入れ、出がけに秀吉が持っていけと言って、半ば押し付けられるように持たされた懐剣の柄に手をかけた。
『見えるだけで五人…忍刀か』
冷静に目だけを動かして相手の獲物を確認する。刀身の短い忍刀であればこそ、相手のお攻撃は何とか懐剣で防げようが、この人数差ではこちらから攻撃することは不可能に思えた。
しかし忍びたちは、竜昌の腕を知ってか知らずか、それ以上間合いを詰めてこようとはしなかった。
『信殿だけでもなんとか逃がす…』
必死に頭の中で逃げ道を計算しながら、竜昌は柄を握る手に力を込めた。
その時、
「やめておけ、竜昌」
林の奥、闇の中から、凛とした声が響いてきた。声の主の姿は見えない。
『この声は…!!』