第16章 【信玄編・中編】
「この前の、話ですが…」
「うん?」
「かつての敵を仲間として、命をかけて戦えるのかと…問われましたね」
「ああ…」
竜昌は大きくひとつ深呼吸して、にっこりと笑った。
「私、がんばってみようと思います」
「…」
「すべての恨みが消えることはこの先もないでしょう、でも、私にとって一番大事なのは、恨みを晴らすことでも、名を上げる事でもなく、民草の笑顔です」
「…!」
竜昌の口から出た言葉に、信玄は思わず目を見開いた。
姿形には まだ少女の面影さえかすかに残っているが、その内には紛れもない「女城主」の威厳が、小さな輝石のように光を放っていた。
「恨みを晴らすために戦い、戦がまたその恨みを生みだす…永遠に終わらない因果応報です。でも私は、その向こう側にあるものを見たいんです。戦ではなく、人々が手を取り合って暮らす世の中を。そのためなら、自らの恨みなど小さなものです。そして…、そして…」
竜昌はそこで一旦言葉切り、信玄から目を逸らした。長い睫毛がわずかに震えているのが、かがり火の作る影でわかった。
「信長様の元でなら、それが…次の世が…見れると…思っています」
『そうか…』
竜昌にはわからないように、信玄は小さくため息をついた。
なぜか胸の奥が、まるで石が詰まったかのようにずっしりと重く感じられた。
しばしの沈黙のあと、信玄が口を開いた。
「その言葉を、聞かせてやりたい奴がいるよ」
「…」
「同じ里で育った幼馴染なんだがね、村を焼かれ、仲間を殺され────復讐の鬼と化してしまった」
「…!そのお方はいまどこに…」
「さあ?もう俺にもわからない、おそらく身を隠して、闇の中から虎視眈々と、憎き仇敵を狙っているんだろうな」
仇敵とは信長の事だろう。
自らの主のした事とは言え、故郷を滅ぼされ、無二の友を失った信玄の気持ちを想うと、竜昌はやるせなさに胸が張り裂けそうだった。
「ほら、またそういう顔をする。君のせいじゃないったら」
信玄はいつものように、その大きな手のひらで竜昌の頬を撫でた。