第16章 【信玄編・中編】
「こら与一!!父ちゃんから離れるなつったろ!!田舎と違って安土はでっけー町なんだからよ!!…旦那様、まことに面目ねえです」
ペコペコと頭を下げる父親に笑いかけながら、信玄は与一の足をポンポンと優しく叩いた。
「なんのなんの。父ちゃんみつかって良かったな?与一」
父親は頭を低くしながら、隣に立つ竜昌にふと目を止めた。
「こちらのお侍様にもご迷惑を…え…あ…」
「?」
「まさか…そんな…姫さ…ングッ!!」
何か言いかけた父親の口を、竜昌の手が音速で塞いだ。
「%$<÷\〆*☆¥/!!!」
『シーッ!!』
目を見開いて無言で牽制する竜昌の手の中で、父親は尚もモゴモゴと何かを叫びながら、地面に膝をついた。まるで土下座でもしそうな勢いである。
「りん殿のお知り合いかな?」
信玄は笑顔を崩さぬまま、飄々とそう言ってのけた。
竜昌は信玄の顔を見上げながら、コクコクと無言で頷いた。
「そうか。じゃあ与一、父ちゃんたちのお話が終わるまで、俺たちはこのままもう一回りしてこようかな?」
「わーい!ヤッター!!」
信玄の肩車をいたく気に入った与一は、手足をばたつかせて喜んだ。
与一を肩に乗せた信玄の後ろ姿が見えなくなると、竜昌はようやく父親の口から手を離した。
「プハッ!ハァッハァッ…」
「ほら、立って立って」
「いやあ〜たまげた、まさかこんな所で姫…」
「シーッ!!ここじゃダメ!!…そなたは秋津から来たのか?」
「へえ、与平といいます。白木村から来ました」
「白木かあ、懐かしいのう…ん」
跪いた与平の土埃を払ってやりながら、竜昌は与平の左手がだらんと垂れ下がったままなことに気がついた。
「…その手は…」
「ああこれですかい、先だっての織田様との戦でねえ。俺はね、あの時 最後までお城にいたんですよ!」
「それはまことか…!」
最後まで秋津城に立て籠もった二千に満たない兵のうち、ほとんどが与平のような農民上がりの民間兵だった。
あの時、織田軍の五千の兵に包囲されたまま、夜通し皆と語り合い、泣きながら城を明け渡す決断をした時のことが、まるで昨日のように思い出された。
「すまな…かった…」
涙ぐみ、口ごもる竜昌を、与平は大きな口を開けて笑い飛ばした。