第16章 【信玄編・中編】
『男の俺でさえキュンキュンくるこの色気にまだ落ちないとは…あの女謙信、化け物か…』
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その日の夜、安土城────
竜昌は自室で一人、静かに座って …いられなかった。
「くぅう~」
信玄が着せてくれた羽織を、丁寧に折りたたんだかと思えば、それを胸に抱きしめ、部屋中を転げまわり、また畳みなおすという動作を、延々と繰り返していた。
『なんだろう…なぜか懐かしい匂いがする…』
羽織に顔を埋め、深く息を吸う。
どこか甘いやわらかな匂いと共に、頬を撫で、唇に触れた信玄の指の感覚が蘇ってきて、身体の芯がむずむずと疼いた。
『駄目だ…しっかりしろ竜昌…!』
そのとき、不意に信玄の言葉が頭をよぎり、胸がズシリと重くなった。
『君だって安土の衆に、かつての仲間や一族を、傷つけられたことぐらいあるだろう。それでも、今度はそいつらを仲間として、命を懸けれられるのかい?』
自らの命だけでなく、皆殺しにされてもおかしくなかった秋津の民の命を救ってくれた信長に、竜昌は感謝と尊敬の念を抱いていた。
しかし、目の前で織田の兵に斬られた家臣たちや、嘆き悲しむ家族たちの顔を忘れたわけではない。
その者たちは、自分が安土でのうのうと暮らしていることをどう思っているのか…
今まで、頭のどこかで「考えないようにしていた」問いが、竜昌の胸を締め付けた。
『ん…?動きが止まった』
天井裏から、竜昌の様子を伺い見ていた佐助は、息を詰めた。
先程までゴロゴロと転げまわっていた竜昌が、信玄の羽織を抱いて正座をしたまま、ピクリとも動かなくなった。
『バレたか…?』
表情こそ見えないが、肩のあたりに殺気が漂っているようにさえ見える。
相手は剣の達人。佐助は竜昌からの一撃に備え、いつでも躱せるように身構えた。
しかし竜昌は、まるで赤子を寝かせるように、信玄の羽織をそっと床に置くと、急に立ち上がり、足音も荒く部屋を出ていった。
『ふう…バレたわけではなかったか。しかしさすが信玄様。確認のために藤生殿の様子を見に来たが…落ちるどころか、完全に陥落しているなアレは…』