第16章 【信玄編・中編】
「うちの売り子が、何か?」
相手の目をまっすぐに見下ろしながら、余裕の表情で語りかける信玄に気圧され、男たちは立ちすくんだ。
身体の大きさもさることながら、その体内から発せられる『威厳』のようなものが、さらに信玄の威圧感を増していた。
「チッ、なんでもねえよ。帰るぞ」
「お、おう」
まさに尻尾を巻く、といった様子で、男たちはすごすごと引き下がった。
「ほら、忘れモンだ」
信玄は、竜昌が足元に踏みつけていた刀を拾うと、それを無造作に男たちにむかって投げた。
「ッぶねえな!」
「刀の持ち方から勉強し直してきな」
野次馬の中からクスクスと笑いが起きた。
男たちは小さく悪態をつきながら、人ごみを押しのけて去っていった。
「さてと、怪我はないかい?」
信玄は竜昌の顔を覗き込むように見つめた。
先ほどの冷たい光は影をひそめ、竜昌を気遣うような、いつもの優しい眼差しだった
『ち、近い…』
笠越しでなく、初めて間近でみる信玄の顔に、竜昌は息を呑んだ。
長い睫毛に縁どられた、深い赤銅色の瞳が、まるで蝶を誘う蜜のように竜昌の目を引き付けた。
「…大丈夫そうだな?」
肩に置かれた信玄の手が、ぽんと竜昌の肩を優しく叩いた。
その振動で、竜昌はハッと我に返った。一瞬の間だったはずなのに、ずいぶんと長いこと信玄の瞳に見惚れていたように感じた。
信玄は竜昌から身体を離すと、地面に倒れていた行商人の女を助け起こした。
年の頃は二十四~五だろうか。竜昌と違い、むっちりと肉付のいい女だった。粗末な短い着物の裾からちらりと見える白い内腿が、なまめかしい女の色香を放っている。
信玄の大きな手が、ふくふくと丸い女の手を引くのを見て、竜昌は胸の中心がチリリと焦げたような痛みを覚えた。
「ありがとうございます…」
竜昌が小さく礼を言った。
「なんの、礼を言うのはこっちのほうだ。行商仲間を助けてくれて、ありがとう」
「お侍様、ありがとうございます」
女も信玄と一緒に頭を下げた。
「…では…」
竜昌はそのまま軽く会釈をした後、さっと踵を返した。
「あ、おい…」