第16章 【信玄編・中編】
「どうした。ビビってんのか?」
男は挑発するように、剣先を竜昌の目の前で揺らした。
しかし竜昌は微動だにしない。
「なんとか言えよこのアマ!」
ついに痺れをきらした男は、大きく振りかぶって竜昌に襲い掛かった。
野次馬たちから悲鳴が上がる。
竜昌は、まるで柳が風になびくかのように、スッと身体を引いて、紙一重でその剣をかわすと、すれ違いざまに手刀で男の手首を打ち、剣を叩き落とした。
「おおお!」
野次馬からどよめきがあがる。
竜昌は地に落ちた剣を、片足で踏みつけた。
「文句があるならいつでも安土城に来い」
「クソがッ」
その時、竜昌の背後で誰かが剣を抜く音がした。
もう一人の背の高い方の男が、声も上げずに背後から竜昌に斬りかかった。
竜昌はまるで後ろに目がついているかのように、無駄のない動きで避けようとした。しかし地面に転がっていた大根のおかげで、ほんの少しだけ初動が遅れた。
男の剣は、竜昌の笠のへりに当たり、それを弾き飛ばした。
「あっ…」
再び野次馬たちがどよめいた。
笠の下から姿を現した竜昌が、艶やかな黒髪をなびかせた、美しい女だったからだ。
剣をもつ男も、竜昌の顔を見て一瞬呆気にとられたが、すぐにその表情は下卑た笑いに変わった。
「なかなかの上玉じゃねえか」
それを聞いた竜昌は露骨に顔を歪め、男を睨みつけた。
しかし、好奇の眼差しで竜昌をじろじろと眺める周りからの視線が気になり、意識が集中できない。
辺りにせわしなく視線を配りながらも、竜昌はその場を動けずにいた。
その時、
「ちょーっと待った!」
聞き覚えのある、甘い声が響いた。
竜昌が振り返ると、群衆の向こうに、大きい掌をひらひらと振る信玄の姿が見えた。
『信殿…』
「はい、ごめんよごめんよー」
飄々と人の輪をかき分けながら、信玄は竜昌の近くまでやってくると、緊張で固まっていた竜昌の肩を、片手で強く抱いた。
「!?」
「やあ、そこのお兄さんがた」
「ッ!信の野郎か」
「どーも」
いつもの優しそうな笑顔で、信玄は男たちに語りかけた。しかし良くみると、その目は笑っていない。