第16章 【信玄編・中編】
その後も、竜昌が安土城下に行くたびに、信玄は(たとえどんなに女達に囲まれていようとも)竜昌を見つけると、にこやかに笑いかけ、手を振った。
竜昌もはじめは照れていたが、やがて笠を傾げて会釈をし、それに応えるようになった。
いつの日か竜昌は、人ごみの中で自然と信玄の姿を探している自分に気付いた。
『さ、探してるわけじゃないし…背が高いから…目立つだけだし…』
そうは言っても、信玄の姿が見えないときは、わずかに心が沈むのが分かった。
そんなある日、いつものように城下を歩いていた竜昌の耳に、男たちの荒々しい声が聞こえてきた。
「おいおい姉ちゃん、誰に断わってここで商売してんだ?あぁ?」
見ると、通りの向こうに人だかりができている。
竜昌が人をかき分けるようにして中に入ってみると、そこには道端に倒れている若い女がおり、その周りには売り物とおぼしき野菜が散らばっていた。
その女を見下ろすように、腰に剣を佩いたやくざ者が二人、立っている。
まわりの町人たちは、剣に恐れをなしたか、その様子を遠巻きに見守っていた。
考えるよりも早く、竜昌の身体が動いた。
「待て、ここ安土は織田様のお膝元。そなたらとて楽市楽座を知らぬわけではあるまい?」
「あ?なんでテメエは?」
弟分と見える背の低い方の男が、止めに入った竜昌に向かって凄んだが、竜昌は一歩も退かなかった。
男は竜昌の姿をじろじろと見た。侍のような形をしているが、声はどう聞いても女だ。
「楽市楽座だかなんだか知らねえが、こいつのおかげで、俺たちの仲間の商売があがったりなんだよ。どう落とし前つけてくれるんだよ!?」
「だからといって力に訴えるのか?商売人なら商売人らしく、商いで勝負するがよかろう」
「女のくせに…知ったような口ききやがって…」
男は竜昌の笠を掴もうと手を伸ばしたが、竜昌はその手を邪魔だとばかりにパシリと弾いた。
「なっ…テメエ!」
ぶちきれた男が、ついに剣を抜いた。
野次馬たちが恐れをなし、一気に人の輪が広がった。
しかし竜昌は剣に手をかける様子はなく、平然と立ったままだった。