第15章 【信玄編・前編】
「!?」
竜昌が振り向くと、すぐ横に信玄がしゃがみこんで、竜昌の持っている紐の端を、指でつまんで弄んでいた。
「そんなご無体な旦那~三文なんて商売上がったりですわ」
「え~?あっちで似たような紐を三文で見たけどなあ?案内しようか?」
「えっ」
驚いて固まる竜昌を見て、信玄はにっこりと笑った。
「わーちょっと待った旦那はん。わかった、わかりました。お姉さん、この紐なんぼいりますの?」
「うーん三間ほどかな…」
「せやったら、ここにあるのだいたい四間やけど、それ全部買うてくれるなら一間あたり三文にしまひょ。それでどないです?」
「わっ!」
驚きと嬉しさで、竜昌の口がわずかにほころんだのが、笠の陰からちらりと見えた。
その表情に満足した信玄は、からかうように言った。
「よっ商売上手」
「もう旦那さんにはかなんわ~」
竜昌は四間ぶんの代金を渡し、紐の束を受け取った。測り直した紐の長さは、四間と二尺ほどあった。
「まいどお~」
店主に見送られ、二人は露店を後にした。
「あの…ありがとうございました」
歩きながら竜昌が会釈すると、横を歩く信玄も会釈で返した。
「なんのこれしき。ここらでの商売はね、客が値切ることが前提なんだよ」
「は…」
「だから商人も、最初はふっかけてくるのが当たり前。とくに君みたいにきちんとした格好をしたお侍さんにはね」
「なるほど…」
故郷の秋津にはない風習だった。今まで何度かこの安土城下で買い物をしたことはあったが、今まで値切ったことはなかった。
『今まで損してたのかあ。舞様のお買い物、もう少し真面目につきあっておけば良かったなあ…』
「今日は舞は一緒じゃないのかい?」
「え、あ、はい」
信玄の問いかけに、竜昌はなぜか胸の片隅がちくりと痛むのを感じた。
『あれ…?』
「じゃあ丁度いい、りん殿」
信玄の足が止まった。
つられるようにして竜昌も立ち止まる。