第15章 【信玄編・前編】
信玄は、片手にもった湯飲みを口元にもっていき、ゆったりと一口飲んだ。
「匂い…かな?」
「えっ!」
竜昌は焦ったように、自分の袖口の匂いをくんくんと嗅いだ。
白粉はつけていないし、香を嗜む趣味もない。
「ハハッ…冗談だよ。ごめんごめん」
信玄はおかしそうに噴き出した。
笠の中で、竜昌が唇を尖らせる。
「答えは『骨』だな」
「骨?」
「確かに君は遠くから見たら男のようだった。舞が誰かと逢引きしているのかと思って、そりゃあ妬けたね」
「はは…」
「でもね、どんなに着物でごまかしても、痩せていようが太っていようが、背が高かろうが低かろうが、男と女では決定的に『骨』が違うんだ」
竜昌は、最初にガシリと肩を掴まれたことを思い出した。
『なるほど…骨ねえ…。確かにこの御仁の色香では、男の身体も、女の身体も、飽きるほど見たり触ったりしているのだろうな…』
あらぬ想像をして、竜昌は顔が火照った。
「ん?どうした?」
「な、なんでもありません!」
信玄に笠を覗き込まれそうになり、竜昌は縁台に座っていた位置を、腰ひとつずらした。
からかうような笑顔も、あくまで甘く優しい。
「さ、お茶が冷めてしまうよ。ここの団子は絶品なんだ。食べてごらん」
あきらかに女慣れした、この絶妙な間の取り方。
竜昌はなぜか丸め込まれたようで悔しいと感じた。
あらためて気をひきしめようと、竜昌は握りこぶしに力を入れた。
「りんひゃんおいひいほ~。はやふたべなほ~」
しかしすぐに、口いっぱいに団子を頬張って幸せそうな舞の声を聴いて、がっくりと脱力した。
「いただきます!」
なかばやけくそのように、竜昌は団子を口に押し込むと、それを茶で流し込んだ。
「そんなに慌てなくても、団子は逃げないぞ」
信玄も、にこにこと竜昌の様子を見ながら、美味しそうに団子を頬張った。
少しだけ視線をずらすと、向こうの店の屋根の上から、佐助の姿がちらりと見えた。
信玄が視線で合図を送ると、佐助はコクコクと頷いた。
どうやらこの娘が、藤生竜昌に相違ないようだ。
『へえ~?』
改めて、竜昌の姿を隅々まで眺めながら、信玄は二つ目の団子を口にした。