第15章 【信玄編・前編】
「主君の命に逆らう気か、佐助」
再び姫鶴一文字の柄に手をかけた謙信を、信玄がひらひらと手を振ってなだめた。
「まあ待て謙信。佐助を斬るのは、最重要項目に答えてからにしてくれないか?」
「ありがとうございます信玄様」
「…で?どうなんだ?」
「正直に申し上げて…」
眼鏡の奥の佐助の瞳がキラリと光った。
信玄の喉がごくりと鳴る。
「めちゃくちゃ美人です」
今度は信玄がすくっと立ち上がる番だった。その顔だけは、おそろしく神妙だった。
「よし謙信、俺が安土にいって藤生殿を検分してこよう。兵を上げる価値がある相手なのかどうか」
「ちょっ まっ、何の話ですか!」
「大人の話だよ、幸」
艶っぽい余裕の笑みを浮かべる信玄を見て『いつもの病が出たな』と、幸村はため息をついた。
「…それより忘れないうちにこれ飲んで下さい」
「わかったわかった」
信玄はしぶしぶと、盆の上にある紙包みを手に取ると、その中の粉薬を口に含み、白湯で一気に流し込んだ。
「うぇっ苦ァ~。なあ幸、口直しに団子もういっ…
「いけません」
全部言い終わらないうちに幸村に全否定された信玄は、しょんぼりと肩を落とした。
「先に薬飲めばよかった~」
「だから団子隠しといたのに、御館様が盗み食いするから!」
「盗み食いとは聞こえの悪い。団子が俺を呼んだんだ『信玄様、私を食べて』ってね」
「はいはい」
幸村は呆れたように、半目で信玄を見上げた。
─── ◇ ─── ◇ ───
「幸、本当に信玄様を安土にいかせていいのか?」
春日山城の屋根に上り、星空をぼんやりと見つめていた佐助が、隣に座る幸村をちらりと見ながら言った。
「うん…」
幸村は逆に、城下町を見下ろしながら、深い溜息をついた。その瞳には、悲しそうな色が浮かぶ。
「お前も気付いたかもしれないが、御館様はこのところかなり体調が悪い」
「うん…」
佐助も時折、苦しそうに咳き込んだり、青白い顔をした信玄を城内で見かけていた。
「このところの寒さのせいもあると思う。だから…」
「この越後より少しでも温かい安土にいて欲しいというわけか」
幸村は無言でこくりと頷いた。