第1章 1
「いいよ」
「……ホントか?」
「いいって言ってるじゃん。……かわりになったげるよ」
真緒を見た、桃城の顔がさらに歪む。
歪んだ笑顔から、痛みを堪えるような顔に。
「何変な顔してんの、やったげるって言ってるのに。喜ぶとこでしょ」
真緒はそんな痛みなど知らないふりをして、桃城の望みを叶えようとする。
真緒が断れば、良心が痛まないかわりに桃城は「彼女」への想いで苦しむだろう。
受け容れれば、桃城は仮初とはいえ「彼女」の想い出に浸れ、そして真緒をいいように使ったことに傷つくだろう。
どちらにせよ苦しいのなら、桃城はいつも通り自分のしたいことをすればいいのだと、そんな伝える気もない思いを胸にしまって、真緒は知らないうちに組んでいた両腕を広げた。
桃城が、真緒の肩に顔を埋めている。
胴体は桃城の腕で痛いくらいに締め付けられ、耳には時折つぶやくような声が届く。繰り返し聞こえる音は「彼女」の名前だろうか。
体育会系らしいというべきか、体温の高い体は、密着することで筋肉や腱の動きが鮮明に触れる。
背中に感じる腕と手のひらは、潰れそうなほど力が入っているのに、どこか遠慮がちだった。
かわりになるとは言ったものの、真緒は「彼女」とは話したこともない。人となりも、振る舞いも、桃城とどうやって過ごしていたかも、何も知らない。
だから真緒は、こうしてほしいと言われない限りはただ抱きしめ返していることにした。
髪をすかれても、頭や頬を撫でられても、何も言わず何もしなかった。
たとえぎゅうぎゅうに締め付けられて痛かろうが、肩口が湿ってこようが、何も言わず何もせずにそこにいた。
ただ抱きしめているのは楽だ。
頼まれた通り、ただかわりになるだけ。どうしたいとか、どうしたらいいとか、何も考えずにいればいいのだ。
このままずっと抱きしめていてもらえたらとか、自分が「彼女」の立場になれたらとか、そんなことも、何も。
時間が止まればいいなんて気持ち、涙と一緒に流れて消えてしまえ。