第2章 桃色ドロップ
「あ、待って」
控えめな声が背中に投げられたと同時に掴まれた彼女の右腕。なにか運動でもしているのか、名前に腕に触れた男の手は少しかさついており手の皮が固く感じられた。
名前は青春学園にいた時、一時期女子テニス部の助っ人をしていた事があった。
両手できつくラケットを握りしめ、球を打ち込んだのはたった一ヶ月だというのに手の皮は固く厚くなっていた気がする。その時の自分の手をふと思い出すと同時に、男の手首に付けられているリストバンドに目がいった。
ーーいや、違う…これパワーリストだ。
リストバンドとは少し異なるそれを目にし、彼はテニス部かなにかだろうか?と名前は思考を巡らせたまま、男へと視線を寄越した。
柔らかそうな男の髪の毛は、柔らかな春風に揺られている。
ただそれだけの事なのに、まるでどこかの絵画のように綺麗で名前は数秒思考が停止してしまった。
「引き止めてごめん。…けど、君みたいに花をじっくり見る子最近居なかったから…」
そう言って困ったような顔をして、男はそっと手を離した。
「自己紹介がまだだったね。俺は幸村精市。…君は?見掛けない顔だけど」
片手に持っていたジョウロを、ゆっくりとした動作で傍らに置きながら男ーー幸村精市は名前に問うてきた。
「幸村くん…宜しくお願い致します。私は今日転入してきた苗字名前と言います」
言いながらそっと手を差しだせば、すぐに幸村の手が重なった。手が重なったのはほんの数秒。だが、その数秒だけで幸村の手が男らしいものだと、再確認することが出来た。
ーーやっぱり運動部だな。
綺麗な顔と綺麗な手。だが、大きさや骨ばった感じ、皮の厚さ。男の手そのものだった。
すぐに手が離れ、名前が口を開こうとした時ーーそれを遮るように、チャイムが鳴った。大きな校舎から、その場にいる全員に聞こえるよう響き渡るチャイムの音に、幸村と名前は目を丸くさせた。
「ゆ、幸村くん…!それでは私はこれで!」
「あぁ、うん、じゃあ」
慌ててその場かは離れ駆け出した名前。そんな彼女を少しだけ見送ったあと、幸村は傍らに置いておいたジョウロを片付けるため身を屈めたのであった。