第16章 アダムとイヴの林檎
「……時間だわ。……この度は、ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありません。TRIGGERの出演は…」
「何言ってるんですか!今さら困りますよ!あなたたち、仕事をなんだと思ってるんですか!?」
頭を下げる姉鷺に激昂するスタッフに向かって、龍之介が口を開いた。
「行きます」
「龍…」
「一人で歌います。せっかくの新曲、三人で歌いたかったけど」
「…今、こんな時に、あんたが一人でステージに立ったらどんな視線をぶつけられるか…」
「大丈夫です」
姉鷺を安心させるように、龍之介が強く頷いた。
横やりを入れるかのように、了が愉しそうに声を掛ける。
「あーあ。罪人の磔のようになるかもね。投げられる石がないだけ良かった。ねえ、十龍之介くん」
「……。月雲社長さん。あなたの言う通り、俺は漁師の息子です。海では、恵みも、災いも、神様次第だった。突然の高波にのまれる恐怖と、嵐の訪れる恐怖と、隣り合わせだった。でも芸能界は人の作った世界です。たとえ、すべてを失うことになっても、命まで奪われることはない。裸の俺に戻るだけです。……何も怖くない」
「………」
「俺の足でステージまで歩いて、俺の声で、俺たちの歌を歌います。あなたは嵐の空でも、高波でもない。俺を止めることはできない。ひどい天災に対抗できるものは、いつだって、たったひとつのものだった。人の和です。TRIGGERはここにいます。俺の胸の中にいる。いつも一緒に戦ってきた二人を置いて行ったりはしません。ここにいる二人もあなたには奪えない。あなたは、ちっぽけで、無力だ」
「………。…へええ。面白いな!おまえの名前は忘れないよ。人の世の地獄のすさまじさを教えるまでね」
「……。姉鷺さん行ってきます」
「ええ、頑張ってね。ここで見守っているから」
――そして、龍之介は一人でステージに立った。
冷ややかな視線、あちこちから起こる小さなブーイング。けれど、その中にはTRIGGERを応援する声援が、確かにあった。
そんなファンの人達や、天と楽の分の気持ちを乗せて。龍之介は新曲の”願いはShine on the sea”を一人で歌いあげる。
最後には、冷ややかな視線も小さなブーイングも、もう聞こえてこなかった。会場は、いつまでも、いつまでも、大きな拍手と温かい声援に包まれていた。