第16章 アダムとイヴの林檎
―――ただ、友達に戻るだけ。付き合う前に、戻るだけ。ただそれだけなのに、それがどんなに難しくて、辛いことなのか知った。
『百、千ちゃん、お疲れ様!また、来週ね』
笑顔でそういう零に、目一杯の笑顔を返す。
「うん、また来週ね!気を付けて!」
――大丈夫?オレ、ちゃんと笑えてる?
情けないことに、気を張ってないと笑顔が作れないなんて。笑顔がトレードマークのモモちゃんが、聞いて呆れる。
泣いても怒ってもどうにもなんないなら、笑ってた方がいいじゃんって、ずっとそう思ってた。けど、今は違う。笑ってないと、自分を保てなくなってしまいそうだから、笑ってんだ。
だって、これ以上かっこ悪い自分を零に見せるわけにはいかないんだよ。零は、優しいから。少しでもオレが落ち込んだり、元気がなかったり、そんなところ見せたら、心配しちゃうでしょ?せっかく前に進めそうなのに、また戻ってきちゃうでしょ?
彼女の優しさに、もう甘えるわけにはいかないんだ。こっちから突き放すくらいしないと、零はいつまでも天の手を取れない。
本当は、今だって好きで好きでたまんないよ。触れたくて触れたくてたまんないよ。少しでも気を緩めたら、きっと涙が枯れるまで泣いて縋っちゃうよ。そんな未練たらしくて、かっこ悪くて、大事な後輩の天にまで気を使わせてしまうような、情けない男だよ。
でも、零の中では、せめて思い出の中だけでいいから、カッコイイ百でいたいんだ。
オレはちゃんと笑えてるよね?背中を押してあげられてる?ジェントルマンに映ってる?
こんなことくらいしかできなくてごめん。オレは今まで、あんなに零に救われてきたのに。
どんな願いだって叶えてあげたかった。零が望むなら、どんなに些細なことだって。
それなのに、今は零の幸せを願うことしかできないなんて。
ほんと、つくづく。自分に呆れるよ。
「………モモ」
ユキが名前を呼ぶ声に、はっと我に返る。顔を上げればユキは心配そうにこちらを見下ろしていて、大好きな相方にまでこんな顔をさせてしまう自分が尚更嫌になった。