第5章 イロナキセカイ
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"先生……さよーなら"
すれ違い様の俺を見つめた眼差しが
やけに吹っ切れたように清々しくて
"先生"と言う響きが、
すべてをリセットしたみたいに聞こえた
これで…いいんだよな
保健室のドアを開けようと、手を伸ばした瞬間
背後からの声に、振り返る
「今、ちょっといいですか?」
爽やかな笑顔を浮かべ、
清潔感漂うその人に、俺も笑顔を向ける
入れたてのコーヒーを、櫻井先生に手渡し
側のパイプ椅子に腰を降ろした
「ちょっと、相談事といいますか」
「はい?」
相談事と言いながらも、深刻さは微塵も感じられなくて
肩の力を抜いた
「結婚しようかと思ってるんです」
はにかんだような笑顔
相談事と言うより報告
「でも彼女、
大学生ですよね?まさか…?」
先生の恋人は、俺も知ってる卒業生だ
クラス委員もしてた優等生
「いやいや!それはないですよ!
留学することが決まって。
前々から夢だとは言ってたんですけど」
「……留学するのに、結婚ですか?」
「急に迷ってるような事言い出したんで」
「はぁ…?」
「理由を聞き出したら、
どうも俺と離れるのが嫌だとか何とか」
ノロケ…に来たのか?
困惑する俺に気付いたのか、慌てるように口を開いた
「ノロケてないですよ!やっぱり一生の事ですし、彼女はまだ若い。
ここで人生決めてしまって良いのかなって」
「……」
「これからいろんな出会いもあるでしょうし、
今、僕に決めてしまって後悔しないか…」
俺の胸の内を、すべて代弁してくれてるみたいだった
やっぱりそうだよな
俺の場合、結婚だってカタチさえ存在しない
「松本先生に話せば、決断出来る気がして。
背中を押してくれたのは、先生ですから」
卒業式を思い出す
想いを諦めようとしているサクライ先生に、偉そうに言ったんだ
『今日は卒業。
こんな簡単な告白ないですよ。
上手くいかなくても明日は会わないですむ
上手くいけば、会えるんですよ。堂々と』
「そんなことありましたね」
「だから、彼女との今があるんです」
春には、アイツも卒業する
今の俺だったら
同じことを、言えただろうか
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