第3章 夢と過去①
息が上がりだした胸に手を当てて、少女はなお走った。
張り巡らされた木の根を器用に飛び越え、生い茂る枝葉をくぐり抜ける。
自らの来た道を半分ほど戻ったところで急にその足が止まった。
大切な事に気が付いたのだ。
「羽織が…」
無い。最後の一言は声にならなかった。
思わず後ろを振り返るが、既に陽の光は橙に染まっている。
引き返す時間は無かった。
引き返したとしても、まだ人がいるかもしれない。
急に止められた足と肺が震えて、少女をさらに追い詰める。
(父様…)
あの薄桃色の着物は、父がくれた羽織だった。
羽織をもらった日に見た父の笑顔は、今でも忘れない。
それが父の最後の笑顔だったから。
ずっと肌身離さずにいたのに、どうして今日に限って。
自分の愚かさに涙が溢れる。
(でも、見られてしまった)
夢から覚めたばかりの自分の目に映った、澄んだ空色の瞳を思い出す。その瞳は驚きで見開かれていた。
少女…夜瀬凪は自分の左目をそっと押さえた。先程は金に輝いていたその左目が、今は右と同じ夜の色をしている。
凪の瞳の異変に、最初に気がついたのも父だった。
過ぎ去った日のことを思い出す。