第5章 首相の苦悩-トモダチ-
「でも残念ながら、本当に残念ながら、僕はそれほど甘党ってわけじゃないんだ。けれど君の作るお菓子は甘くて本当に頬が落ちそうなくらい美味しい。出来ればこれからも味わいたい。だからまた今くらいの時間に君がお菓子を作っているのを見かけたら、その時は一緒にご相伴に預かってもいいかな?」
「はい、もちろんです」
紫鶴さんは満足そうに残りのスポンジケーキを平らげていく。
「さーて、と。そろそろ仕事に戻るかな」
「え?」
「夜遊びに出掛けてたってのは嘘だよ。今日の夕刻までに書き上げなければならない原稿があってね、とても遊んでいる暇なんてない」
「(あ……)」
私は台所での自分が紫鶴さんに言った言葉を後悔し、頭を下げた。
「あの…さっきはすみませんでした。あんなこと言ってしまって…軽率でした。流石に言い方がキツかった気がします」
「気にしてないよ」
「でも……」
「この美味しいお菓子でいいものが書けそうだ、感謝するよ。素敵な朝餉をどうも有難う」
紫鶴さんは、気分を害することなく、むしろ本当に気にしていないような、そんな柔らかな笑みでそう言った。
「ああ、それと」
「はい?」
「君、もしかして合唱部だった?」
「…いえ、違いますけど何故…」
「あれ。さっき自分が歌ってたの気付いてなかったんだ」
「う、歌ってた!?」
「僕が来る前、ずっと何か歌ってたよ。小さな声だったから歌詞は聴き取れなかったけど」
「す、すみません…粗末な歌声をお聴かせしてしまったようで…」
「粗末なんて思ってないし、そもそも止めて欲しくて言ったわけじゃない。楽しそうに口ずさみながらお菓子を作る女の子なんて、押し倒したくなっていいじゃないか」
「…二度と歌わないようにします」
「それじゃあ、今日も気をつけて仕事に行っておいで」
紫鶴さんはそのまま颯爽に廊下に向かってしまう。
「紫鶴さんもお仕事頑張って下さい」
「もちろん」
紫鶴さんの姿が見えなくなった後、ふと先刻のやり取りが浮かぶ。
「(…歌ってたんだ、私。恥ずかしい…全然気付かなかった…)」
いやそんなことよりも、と一気に緊張が走る。
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