第8章 月夜【テオ→主人公】
中庭へと続く扉を抜け、東屋のベンチに腰を下ろした人影。
目を凝らさなくても、誰だか理解る。
少々滑稽なほどお人好しな、駄犬。
テオは眉間に皺を寄せた。
歩み寄るテオの足元で、小石が音を立てた。
それに気づいたのか、ぴたりと歌声が止まる。
こちらを見る目が、驚いたように丸くなっていた。
「テオ………。」
「伯爵からあまり外に出るなと言われてなかったのか?
お前はただでさえ、悪目立ちするんだから」
「ごめんなさい………。」
少しうなだれた駄犬の髪が揺れて、滑らかに流れた。
灰色の髪は、月光に照らされると銀白色に煌めいて。
「さっきの歌はなんて曲なんだ?」
尋ねると、駄犬はわずかに頬をゆるめた。
「あれは、私の故郷の恋の歌だよ」
「恋の歌?」
意外な答えに、思わず聞き返した。
「うん。
この曲は死んだ兄さんが教えてくれたものだけど………。」
思い出に浸るように目を閉じる。
「時々………ね、どうしようもないぐらい、兄さんの声が、
優しかったおばあちゃんの声が聴きたくなるんだ」
そこまで言ってから、彼女は自嘲気味に笑んだ。
「歌でなら、いつでも聴けるでしょう?」
涙を堪えるために、無理をして微笑っているように見えた。
潤んだ瞳が月明かりに照らされている。
思わず吸い寄せられそうな視線を、無理やり剥がした。
忘れるな、この女は『魔法』をかけられた毒婦。
深く息を吐くことで、動揺を鎮めた。
「………早く部屋に戻れ」
やっとそれだけを口にする。
テオの言葉に、彼女が頷いた。
早々に立ち去ろうとするテオの背中に、彼女が声をかけた。
「……テオ」
振り返ると、彼女はこう言った。
「話を聴いてくれて………、ありがとう」
微笑んだとたん、その瞳から感情が伝う。
白い頬を伝った雫が、顎のあたりで震えている。
テオは自分の鼓動をはっきり聴くことができた。