第10章 別れの曲
翌日、松岡さんから渡されたチケットを持って会場を訪れた。
皆、綺麗な装いで、俺の服装のラフさ加減が少し居心地を悪くさせる。
翔の出番は最後から2番目…
緊張感溢れるなか、次々と演奏がされていく。
いつもだったら、心地いい眠りに誘われてしまいそうなクラッシック曲のオンパレード…
でも、今の俺には、これが翔の生の姿を見る最後になるかも知れないという、半端ない緊張感に襲われていた。
早く聴きたい…でも同時に、永遠に翔の出番が来て欲しくない、という思いの攻めぎあい。
そんな俺の思いとは関係なしに、順番は進んでいく。
そして、とうとう翔の順番になってしまった…
ステージに出てきた翔は、半年前より精悍な顔になっていた。
ピアノの前に立ちお辞儀をすると、会場を見渡すように視線を送る。
一瞬、目が合ったような気がしたが、この広い会場で俺を見つけることなんて出来る訳がない。
ピアノに向かい目を閉じ深呼吸をする翔…そっと腕を動かし鍵盤を叩き始める。
ピアノを弾くその姿だけでも美しく、見るものを魅了するのに
その指から奏でられる曲は、更に聴くものの心を魅了した。
『月の光』…聴きなれた俺でさえ目頭が熱くなる。
今まで会場に流れていた緊張感は一切感じられず、皆が心静かに聴き入ってしまう演奏…
曲が終わると一瞬シーンとした空気が流れ、次に一斉に鳴り出す拍手と歓声の渦。
会場全体が総立ちのスタンディングオベーション。
ごめんな、翔…喜ばしい事だと頭ではわかってるんだ。
でも、今はまだ、笑って『おめでとう』って言ってやれる自信ないわ…
俺は審査結果を聞かずに、会場を後にした。