第5章 シンガポールの“暇”(いとま)
『見た目が“普通”(シンガポール人)と違うじゃん』
そんな“偏見”と“軽蔑”が、彼の心の芯に染み着くまで蝕んでいった。
仕掛けてくる輩を返り討ちにしても、正当防衛が認められず、誰もが彼を“悪党”と見なした。
警察に説明しても、“差別”という壁がある限り、正義の味方は誰も彼の味方をしなかった。
そんなことが幾たびもあり、彼の心はもう限界だった。
しかしそんな彼を唯一愛したのが、後に彼の妻となる1人の女性だった。
彼が周りから罵倒されながら、仕事でゴミ掃除をしているのを見たことから始まった。
“言い返さないんですか?”
彼は初めて人に声をかけられ、驚きのあまり返事をすることができなかった。
女は自分のことを指差した。
“あの、私よくここを通るんですよ!気付きませんでしたか?いつもこの通りだけキレイだなって思って…アナタだったんですね”
優しい言葉を掛けられても、男は無視し続けた。
うっとうしいと思ったのではない。
自分と話しているところを見られたら、彼女を巻き込むという良心を持っていたからだ。
しかし彼女は腹を立てず、バッグから紙とペンを取り出し、片足を上げて膝を机代わりにして何かを書いた。
“あの!良かったらコレ!いらなかったらゴミに入れておいて下さい!”
彼女は男にメモを渡した。そこには住所と
『I wanna see you again! You don't have to hesitate in my house, don't you?』
(アナタにもう1度会いたいわ。私の家なら気兼ねなく話せるでしょ?)
このメッセージが書かれてあった。
それを機に、彼女と彼はお互いに心が惹かれ合い、結婚して子供も授かったという。
しかし…
「アイツから母親を奪ったのは、俺なんだ…」
貧しさの故、彼女は病気にかかっても一切の治療も受けず、わずかな収入を全て夫と子供のために貯めたのだ。
優しさが生み出した残酷な最期だった。
「…アナタが金のためにしてきた非行をお子さんが聞いたら、さぞ悲しむでしょうね」
「ッ!」
由来は冷たいことを言ったが正論である。
親が金のためなら犯罪を起こしたことが知られれば、子供の未来が明るいとは決して思えない。
子供を想ってやったことが、子供にさらに酷い現実を見せることになる。