第5章 シンガポールの“暇”(いとま)
女は自分を通り過ぎただけで、何もしてこなかった。
壊死寸前まで凍りづけにされた腕が!?
試しにグーパー動かしてみても、凍らされる前の普通の状態に戻っている!
しかも俺だけじゃねえ!氷は全部溶けて水になって、ケガをしてた仲間も全員無事だ!
その溶けた水は、地面の排水溝に流れていく。さっきの悲惨な氷付けの光景が嘘のようだ!
この女の仕業か? 一体どんな手品を使ったんだ?!
水は流されているがこの女、文字通り全て水に流したのか?
「あ、アンタ…何のつもりなんだ?」
質問ばかりしていた女は、俺の質問には答えずわざとらしく知らん振りをした。
「ッ!何のつもりだと聞いているんだ!さっきまで殺す気満々だったくせして、同情なんてクソだとか抜かして…」
女はようやく俺の方を見て、ようやく一言口にした。
「アナタにお子さんがいるからだ」
「!」
由来は男の腕を指差した。
「さっき凍らせた時に吹いた冷風で、アナタの服の袖が少しめくれました。それまで全く気付きませんでした。その…“手作りのブレスレット”を」
「!!」
確かに男の二の腕には、ブレスレットが付けられていた。
それも、
・・・
ただのブレスレットではないことを、由来はたった1回だけ垣間見ただけで見抜いた。
「店で買ったものではない。アーチが少し捻れている上に、大人らしくないデザイン。それは明らかに子供が作ったものです。違いますか?」
男は唇を噛んで下に俯いた。
「アナタは自分のためではなく、大切な人のために仕方なく手を汚した。そう推測したら、アナタが“悪党”とは違う風に見えて、攻撃を止めました」
バシャリ
男は水浸しの床に跪いて、コンクリの地面を拳で殴った。
「俺は…ダメな父親なんだよォ…女房を病院に連れて行くどころか…薬さえやれなかった。結果、ガキを独りぼっちにさせちまった」
さっきとは想像がつかない震えた声で、静かに自分の心境を話し始めた。
男は生まれも決して裕福なものでもなく、大人になってもいい仕事を手に入れることができなかった。
その理由の1つが、彼は欧米系の白人だったことだった。
シンガポールは多民族国家で、あらゆる文化が行き来する自由な国だ。
確かにそうだが、実は裏では民族間の中で“差別”が存在していた。