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卑しき狗の愛憎

第1章 邂逅


「ふふっ、太宰、あまり部下を虐めるな。それに妾はわざわざ迎えに来て貰わなくても大丈夫だと伝えた筈だったが?」
背後から声がして、衣擦れと草履の摺り足が聞こえる。ただ丁度厚い雲が月に掛かり、その人物の輪郭を闇に包み込んでいた。
「ああ、先生!もうお戻りになられたのですか。予定よりお早いお戻りですね。」
そう言うと太宰は芥川の脇を通り、部下達を両側に並ばせ、その"先生"と呼ばれる人の元へ向かった。芥川も太宰の隣に並び、その人にお辞儀をした。顔を上げ、その人物の姿を視界に認めた瞬間、芥川は痙攣するような感覚を覚えた。闇の中から淡い月下に姿を顕したのは、凄惨なまでの美しさを湛えた鬼女であった。

その人は、"先生"と呼ばれるにはまだ若い女性だった。気品と威厳のある顔立ちで、その身に纏うは淡い菫色の地に咲き乱れる藤の花の振袖に、象牙色の波の地紋の帯。豊かな黒髪を結い上げ、そして唇にはハッとするような紅を差していた。それだけで彼女の美しさを引き立てるのには十分な装いだった。
しかし、その物腰は優雅な中にも裏社会に生きる人間の残忍さを秘めていた。また切れ長の妖艶な瞳には、数多の人間を殺めた者特有の鋭さがあった。

不意に彼女がこちらに目を向けた。そしてゾッとするような微笑みを向けてこう言った。
「そなたが太宰が話してくれていた芥川か。妾は、紫条晶子だ。以後よしなに。」

あまりにも雅な、ポートマフィア然としない、その物腰に一瞬呆気に取られた芥川だったが、次の瞬間、強烈な殺意を覚えた。それは圧倒的な強者に対する彼の反骨精神と言ったものであっただろうか。すぐさま晶子に獣の一瞥をくれると、超然として彼は名乗った。
「お初にお目にかかる。僕の名前は芥川。あなたが噂の"先生"か。」
その殺意を認めた晶子は、思わず笑いを零した。
「はっはっは、流石太宰の拾った狗よ。今にも噛み付かんとしそうなその目。実に面白いのう。」
そして、こう続けた。
「太宰よ、この芥川を妾に譲ってはくれぬか?妾が直に稽古をつけてみたいのだ。」
「何を酔狂なことを仰るのですか、先生。彼のような出来の悪い部下、貴女がわざわざ指導することはありませんよ。」
艶然と微笑む晶子に対して、呆れたように太宰は答えた。
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