第5章 偽りの目

樋口は湯を沸かす。慣れない茶葉の香りを不思議に思いながら、腹いっぱいその香気を吸い込んだ。この国の言葉ではない包み紙をしげしげと眺め、一体どこで手に入れるものなのか、首を傾げる。翠の持つものはいつも、樋口の知らない世界への道標だ。しかし追いかけた先に彼女はいない。いつだって翠は両手から滑り落ちる砂のように、掴み所がなかった。

翠はこの香草茶のように不思議な人だ。翠の周りに人が集まるのに、会話の中心は彼女ではない。いつだって樋口の感情に寄り添ってくれるのに、翠は悩みひとつないといった涼しい顔をする。

中也の傍にいた時には驚いたものだが、それも直ぐに合点がいった。会話の端々に、樋口の理解の範疇を超えた不可解さを含んでいたものの、ふたりの間で完結していれば、それで良いのだ。

迚もお似合いだと思っていたのに、先刻の中也の表情は何だったのだろう。愛だの恋だのといったものではなかったような気がする。

ゴボゴボと湧いた湯を茶器に注ぐと、いつか翠が用意してくれた茶の香りが広がった。

「先輩、お茶にしませんか？」

樋口は芥川の為に寛ぎのひと時を準備した。