第15章 DEAD APPLE
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古いジャズに耳を傾け、そっと横に視線を移す。年代物のカウンターに置かれている白いアリッサムの花が添えられたグラス。中に友がいつも呑んでいた蒸留酒。けれど、グラスを呷る手はない。何時もそこに居た友、織田作之助はもう此処には居ないのだから。
更に奥に視線を移す。誰も座って居ないスツールの向かいには又もやグラスが。中には琥珀色の林檎酒が注がれている。
太宰はそれを視界のうちにおさめ乍、自らのグラスを手に取った。
太宰が座るのはいつもの席。織田作の隣だ。そして、いつもと同じように隣に座っていた友人に話しかける。
「今日は何に乾杯する?」
ーー「安吾が来るまで待たないのか?」
「……」
太宰はゆっくりとグラスを掲げる。遠い日の会話を思い出していた。数年前、同じ場所、同じ席で、太宰は織田作に笑いかけた。
ーーー……
「じゃあ世間話でもしよう。最近、面白い話を聞いたんだ」
織田作はきょとんと太宰をみた。
「面白い話?」
「そう、リンゴ自殺」
「あぁ…シンデレラか」
織田作が思い出した様に呟く。次に表情を変えたのは太宰だ。「シンデレラ」と織田作の言葉を繰り返す。
「うん、その解答は流石の私も予測できなかったなぁ。織田作と話していると本当に飽きないよ」
太宰は楽しそうに天井を仰ぐ。織田作には何がそんなに楽しいのか理解出来なかった。そんな様子の織田作を太宰は覗き込む。
「釈明しておくと、毒林檎を食べたのは白雪姫だし、彼女は自殺じゃない」
「そうか。間違えた」
おどけていた太宰は不意に口もとに親指を中てて「うん……いや、待てよ?」と何かを考え込む。気になり太宰の様子を伺っていると。
「ーーひょっとしたら白雪姫は自殺かもしれない」
ぽつりと太宰が呟いた。
「彼女は毒リンゴと知っていて齧ったのかも」
「何故だ?」
「絶望だよ」
織田作が不思議そうな目で太宰を見ると、太宰は巫山戯た様に笑おうとする。「母に毒を差し出された絶望ーーいや」太宰は言葉を切り、ぼんやりと天井を仰いだ。
「もっと得体の知れない、この世界そのものが内包する絶望……」
「……」
無言で見つめる織田作に、太宰は「だとしたら、面白いね」と笑った。