第1章 お兄ちゃんと呼ばないで/hr
春も終わりかけたある日のこと。
大学に入ると同時期に始めた飲食店でのアルバイトを終えて、まだ夜風の肌寒い外へ踏み出した私は、目の前の横断歩道を渡らず立ち止まって辺りをキョロキョロ見回した。
「あっ、夢子ちゃーん」
そこへ、私の名前を大きな声で呼んで、ぶんぶんとこちらに手を振りながら駆け寄ってきた男性。成人済みとは思えないほど子供っぽい無邪気な笑顔に、私も自然とつられるように笑ってしまう。
「えへへ、迎えに来たよお」
「ありがとうございます、ヒラさん」
「んーん、良いんだよ、今日の飲み会に誘ったの俺なんだから。バイトおつかれさまー」
よしよし、今日も頑張ったねえ、良い子良い子、そう言って私の頭を撫でてくれるヒラさん。お陰でバイトの疲れや嫌なお客さんへの苛立ちが、全部一気に吹き飛んだ。
私は、この優しくて温かくて、男の人にしては小振りの可愛い手が大好き。そんな私の大好きな手を差し出して、彼は嬉しそうにニコニコと笑う。
「じゃあ、行こっか」
「あ……はいっ」
ぎゅっ、と彼の手を握り締める。
まるで恋人同士がこれからデートでもするみたいだけど、私たちはそんな関係じゃない。
これは、優しい彼の心遣いの表れ。夜道は暗くて危ないし、夢子ちゃんがまた転んじゃったら大変だからねえ、とはいつぞやの彼の言葉である。